土曜日から東京、月曜日から埼玉にいて、ようやく大阪に帰って来ました。埼玉にいた時間が濃厚すぎて、東京にいたことがはるか昔のように感じます。
やっと日常に戻ってきたものの、編集者さんに追加で原稿の執筆を、と言われたので、明日までに20〜30ページ分、完成系の原稿を書かねばなりません。
休んでいる暇はなさそうです。
ということで、本題へ。
私たちは普段、恐ろしいほど何かの「せい」にして、自分を振り返らずに生きているものです。
油断すると、誰もがそうなり得ます。
例えば、何かのグループがあったとして、チームのリーダーが上手くチームをまとめることができていないとします。
そのとき、どう感じ、どう思い、どういう行動を取るでしょうか?
多くの場合、「あのリーダーはダメだな」と言って、チーム内で愚痴が始まります。
リーダーを助けようとせず、チームが上手くいっていないことの全てをリーダーのせいにして、自分は何もしない。
しかし、そのリーダーを選んだのは自分たちかもしれないし、リーダーをサポートする意志を強く持てば、リーダーがリーダーとして力を発揮するかもしれない。
そのチームを上手くいかせるのは自分の仕事である、と考え、リーダーに進言したり、自ら動いたり、リーダーの良いところをチームメンバーに伝えたり。
できることは無限にあるはずです。リーダーという立場でなくても。
しかし、私たちは全てを人のせいにしてしまう。
あいつが悪い、あいつのせいで、となぜか被害者意識を持って、自分のことは棚に上げて相手を責めるのです。
そういう人はなかなか人生が上手くいかなかったりするもの。
不満だらけで、目標も達成されず、イライラしていて、他人をけなし、責め、否定する。
でも、自分は特に何もしていない。
受け身で、指示待ちになってしまう。
いや、俺はリーダーじゃないし
早く指示してよ、もっと分かりやすく言ってよ、言われてないからやりません
という感じで。よくありますよね。
バイトをしているとして、その環境に不満があるとして、そのことを上の人に伝えたことがあるかと考えてみると、
そういえばあまり自分から行動していなかったなあ、と気づいたり。
自分の気持ちを伝えたことはあるか?
改善に向けて自ら進んで動いたことはあるのか?
先生の指導が合わないとして、その先生と話したり、もっとこうして欲しい、ということを自分から伝えたのか?
伝える前に諦め、見切り、本気で向き合わなかったのは、自分なのではないか?
そうやって、自分を振り返ること。
つまり、自分と向き合うこと。
それができる人は、伸びます。なぜなら、全てが自分ごとになっているから。
全てが自分を成長させる糧になっているし、人のせいにしないし、人を責めないから信頼も厚くなります。
認めがたいことかもしれませんが、今自分の目の前の現実は「自分が作ったもの」です。
それぞれ、環境は違います。
ただ、その環境の中で必ずできることがあります。
他責にするのではなく、目の前の現実は自分が作った結果なのだと受け入れること。
もちろん受け入れがたかったり、簡単に人のせいにする心を見つめ直すことはできないかもしれませんが、
少しでも「自ら動く」「自分で作った結果なのだ、誰のせいでもない、と受け入れる」ことができれば、現実は変わっていくでしょう。
ということで、今回はこのへんで。