目の前の現実や他人からの評価は関係ない!自分の価値を自分で認める力を鍛えるメントレ。

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セルフイメージの高さ、大丈夫力の高さ、できる力の高さがあると、基本的に楽だし、行動するのもストレスフリーになっていくもの。

 

成果を出すまで、結果を出すまでの期間が苦しい、、ことってこともあるかもなんだけど、

その期間が苦しいのは、セルフイメージ、大丈夫力、できる力をもっと上げていいよっていうサインなんだよね。

 

例えば「自分は男としてダメだ…」「私は女として魅力ない」と思いながらの恋愛って、苦しい。

 

恋愛で悩む場合も、自分を責めたり否定したり低く評価していることが多いんだ。

 

自分が評価しなければ、周りからも低い評価の扱いを受けてしまうんよね。

 

 

例えば、ここに「壺」があるとする。

急だけど。笑。

 

で、その壺をある人が、ゴミ箱として使っていたらどう?

 

「あ、ポテチ食い終わった?ゴミはここに入れといて」と言って壺を差し出す。

 

「え?いいの?大事な壺なんじゃないの?」

 

「いいんだよ、こんなの。ガラクタなんだから。はい、早く入れて」

 

「そうなんだ。分かった!」

 

と言ってゴミを入れ始めるよね。

 

一方で、同じ壺をすごく大事に扱っていて、ショーウインドウの中にあって、

 

「この壺は本当に素敵な壺でね。俺の宝物さ。だから、いつもピカピカに磨いてる。大事だから、磨いてやりたいんだよ。できるだけいつも最高の状態にしてやりたいと思っているんだ」

 

「そうなんだあ〜、確かにすっごく素敵な壺だね!」

 

「だろう?」

 

「ねえ、100万円で売ってくれない?」

 

「バカ言ってんじゃねえ、この壺は最低でも10億だ。それでも安いくらいさ。100万なんかで売らねえよ」

 

「そっか、でもそうだよね、こんなに素敵だもんね」ってなる。

 

 

これがメンタルジムで言うところの「状態が先。状況は後」というもの。

 

 

さらに例を続けると、

 

壺を磨く、壺を綺麗にする、壺にしっかり時間を使う

 

ということを「楽に」できるのはどちらだろう?

 

後者だよね。

 

というか、すでにそうしてる。すでに自然に磨いているし、その時間を取ることに苦痛は全く感じていない。むしろ喜びを感じられてる。

 

じゃあ、前者の場合はどうだろう?

 

壺を綺麗にすることに時間やお金やエネルギーをかけることができるか?というと、難しそうだよね。

 

だって、ゴミ箱だと思ってるから。

 

 

そもそもゴミ箱だと思っているのに、それを綺麗にしようとか、良い状態に保ってあげようとか、そんなことは思えない。

 

これは現実世界で言えば、自分を健康な状態に保ってやりたい、美しくいたい、カッコよくいたい、

運動や筋トレをして良い状態を保ちたい、お金を得させてあげたい、自分に見合う価格設定をしたい、

良い給料を与えてやりたい、素敵な恋人がいて当然、と思うことと同じで、

 

そもそも自分を高く評価しセルフイメージが高い場合は、今書いたようなことを自然にしてやりたいと思うもの。

 

やりたいと思えるから、めっちゃ楽にできる。

 

だけど、壺をゴミ箱扱いするように自分をダメなやつ扱いしていると、そういう行動に違和感を感じるから、できない。

 

「やらなきゃ」と思うし、

むしろ、もっとダメになるように自分を扱っていくようになる。

 

ジャンクフードなど健康に悪いものばかりを食べたり、

お金をもらっていいことまで無料でやってあげたり、

行きたくないやりたくないことを無理にする、というようなことをどうしてもしてしまう。

 

そして、そういう状況を見て「なんで人生が良くならないんだ」と思うのだけど、

それは自分が自分を大切に扱っていいと許可できない、

高いセルフイメージを持っていいとただ知らなかったということだったりする。

 

逆に変わっていくときというのは、壺を壺だと認めたとき。

 

壺をゴミ箱扱いしていた人が、「これはゴミ箱じゃない、壺なんだ」と本当に気づいたとき、そう認めたときから、人生は変わっていく。

 

壺なんだと気づいた人、認めた人はもう壺をゴミ箱扱いはしない。

 

 

友達が「あ〜ポテチうめ。うますぎ。あ、もう空っぽじゃん!ゴミゴミ〜」と言って壺にゴミ箱を入れようとしたら、

 

「ちょ!ゴミ入れるのやめろよ!ゴミ箱じゃないんだから!」

 

と言える。

 

でも、そんなことを言ったら、

 

「え!?今まで入れてきたじゃん!ゴミ箱だったじゃん!急になんだよ。ゴミ箱だからその壺にも存在価値があったのにさ」

 

「んなことねえよ!これは壺なんだ!」

 

「いやいや、ゴミ入ってんじゃん。現実よく見ろよ。それが壺なわけないだろう。汚れてるし、臭いし、ゴミ入ってるし、どこからどう見てもゴミ箱じゃん」

 

「ちげえ!これは壺なんだ!」

 

「まじバカみてえ。もう相手してられねえ。みんな、行こうぜ」

 

と言って、今まで一緒にいた人はどこかに行ってしまうかもしれない。

 

あなたは家で一人、今までゴミ箱扱いしてきた壺を見つめる。

 

「お前は、ゴミ箱なんかじゃない。立派な壺なんだ」

 

 

そして、汚れている壺を磨き始める。

もう、汚れているなんて許せない。

中にゴミが入っているなんておかしい。

 

過去の汚れがある壺を、綺麗にしてあげる。なかなか長年こびりついた汚れは落ちないけど、でも、根気強く綺麗にしていく。

 

途中、まだ汚れが落ちきってない段階でその壺を見た人が、

 

「あ、ゴミ箱。ポテチ食べ終わったんで、ゴミ入れていいですか?」と来ても、

 

「いいわけないだろ!ゴミ箱じゃないんだ!断る!」

 

「ちぇ。なんだよ、しーらね。せっかく相手してやろうと思ったのによ。誰も壺だと思うはずないじゃん。寂しくやってろよ」

 

あなたは一人になる。

もしも「はい、これはゴミ箱です」と認めたら、あなたのもとに人は集まるかもしれない。

一人じゃなくなり、ポテチ好きの人たちが集まるかもしれない。

寂しさから、この壺はゴミ箱なんだと認めたくなる日もあった。

認めたら、この寂しさから逃れられるかもしれない。寂しい気持ちを満たしたい。

だから、「ゴミ箱です」と言いたくなる夜もあった。

 

だけど、それはしなかった。

 

だって、ゴミ箱じゃないんだから。

 

この壺をゴミ箱扱いする人と一緒にいようとは思わない。

 

今は寂しいけど、ゴミ箱扱いされるくらいだったら、寂しい方がマシだ。

 

そう思い直し、壺を本来の姿に戻すために、一人磨き続けた。

 

するとある日、

 

「すいません」

と声をかけられる。

 

「なんですか?」

 

この人も、壺をゴミ箱扱いするんだろうか…。少し身構える。

 

「それ…」

 

「これですか?」

 

「はい。その壺、すごく素敵ですね^^」

 

 

人生変えるって、こういうこと。

 

状態が先、状況は後。ってこういうこと。

 

てことで、今日もメントレ!

 

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