メールで質問をいただきました。
「潤さん、価値を感じるって書かれていますが、それってナルシストになっちゃうんじゃないですか??」というものです。
これも、よくある質問です。
ただ結論から言うと、俗に言う「ナルシスト」は、私が言っている「自分に価値を感じている状態」ではありません。
自分に価値を感じていないからこそ、ナルシストなのです。
そもそも「ナルシスト」という言葉が「自分大好き」という風になっていますけど、深いレベルで言うと、その定義自体が違います。
ナルシストとは、
自分のイメージ通りに見られているであろう自分だけが好き
という状態であって、そこに常に「他人の視線」「他人の評価」を必要としているのです。
一昨日、車を走らせスタバのドライブスルーに行ったときのことです。
後ろに、フェラーリが来て、なぜかブオンブオンいわせ始めました。
マジでうざかったのですが、
なぜブオンブオンいわせるかという、「フェラーリに乗っている俺を見てくれ」という意識があるからです。
その意識を持たれると、人間というのは「奪われる」という感覚になって、嫌になります。うざいと感じます。
ナルシストに感じる感情と同じ感情です。
そして、「フェラーリ」さえも嫌になってしまうのです。
フェラーリには何の罪もないのにね。
しかし、ただ純粋にフェラーリを愛している人が乗っていたとしたら、フェラーリに乗っているということそれ自体に満足しているので、みせびらかす必要がありません。
そういう人がフェラーリに乗っていると、「あ、フェラーリってカッコいいな」となります。
これが人間にも全く同じことが言えるのです。
自分に満足している人がいたら、「あ、カッコいいな」と思う。
自分を見せびらかせる必要のある人がいたら(ナルシスト)、「あ、うざいな」と思う。
つまり、ナルシストとは本当の意味で、深い意味で自分に価値を感じているのではないのであって、
自分に価値を感じたらナルシストになる、というのは違います。
むしろ、私が伝えている「自分に価値を感じる」状態になれば、ナルシストとは最も「遠い」存在になるでしょう。
あと、最後に。
自分に価値を感じる、ということを伝えたときに「ナルシスト」という「反論」の手段が浮かんだ人。
そういう人ほど「価値を感じる」ことに抵抗がある、というケースが多いです。
なぜ抵抗があるかというと、価値があることにすることに自分が許可を出せないからです。
自分を好きだなと感じる人に「嫌悪感」が生じるのは、自分が自分を好きだということに気づきたくない、そんな自分を表現してはならないと、自分が自分に許可していないから。
多分、過去にそういう風にしていると嫌われたとか、怒られたとか、そういうことがあるのでしょう。
全ては、自分の問題です。
だから、「自分に価値を感じる」と聞いたときに「ザワザワ」来る人ほど、必要なことだったりするものです。
ナルシストになっちゃわない?大丈夫?ホントに?
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