不感症と俯瞰症。ちっぽけなプライドを失うまいとして、人生を失うな

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「潤さん、目標達成についてなのですが、目標達成する際に大事なことはなんですか?」

という質問をいただきました。

一言で言うなら、「目標に恋すること」。笑

四六時中、そのことを考えてしまうくらい、その目標を達成したいと思うこと。

そう思える自分であること。

だけど、これがなかなかできなかったりするわけですが、

それはなぜかというと、一つには、「斜めから見ることが癖になっているから」です。

そしてそれは結局、「自分のちっぽけなプライドを守るため」。

例えば、私は昔から熱くなりやすい方というか、「青春」大好きな男です。

基本、「斜めから見られる側」でした。

中学のときも、高校のときも、そう。

「熱いよねえ」と、少し侮蔑の意味を含んだ言い方をよくされたものです。

でも、高校時代のことを振り返り、みんなの現状を見たときに、熱かった人は大体当時から言っていた職業についているか、それ以上に自分が望むものになって、かなり楽しそうに生きています。

そういう人は根本的に「エネルギー」があるんですね。

でも、斜めに見る癖がつくと「熱く」なれません。

それはつまり、目標に恋ができないということ。

本気で熱を上げることができず、いつも「冷めている」。

若いうちに冷めてしまったらどうなるの、という感じなのですが。

例えば、文化祭とか体育際があったとき、積極的に熱くなる人と、斜めから見る人に分かれますが、

積極的に熱くなる人の方が楽しそうですよね。

それと全く同じことが「人生レベル」でも起こっています。

人生に積極的に熱くなる人と、人生を斜めから見る人。

斜めから見ている人は、もうあんまりやることなくて退屈しています。毎日退屈。

感動の涙を流すとか、やりきった達成感とか、そういう強い感情とは無縁の毎日になっている。

そうやって、感情を感じることができなくなり、「不感症」となる。

不感症とは「俯瞰症」でもあります。

あまりにも俯瞰しすぎて、熱くなれない。感情を味わえない。恋ができない。愛せない。

「自分ごと」として物事を捉えられない。

俯瞰することは大事です。

でも、その俯瞰が、誰かよりも自分は「分かっている」自分でいたいとか、熱くなっている人を「バカにしたい」とか、「現実逃避したい」、という動機である場合、

「俯瞰症」となる。

熱くなることから逃げたのは、自分のプライドを守るため。

そして、自分のちっぽけなプライドを守ろうとしたがために、現実を生きられない、面白みもない人間になっていく。

俯瞰するのは、熱く生きるためです。自分の人生を生きるためです。

自分のプライドを守るためではありません。

熱く、楽しく、充実した生き方をするための手段として俯瞰して物事を見て、冷静に状況を把握するようにしているのであって、

誰かより上になるために俯瞰しているわけではない。

熱い人をバカにするために俯瞰しているわけではない。

現実から逃れるために俯瞰しているわけではない。

楽しく生きるために俯瞰して見ている。

もしくは、状況や状態の本質を「見る」「俯瞰する」ということそれ自体が大好きだからやっているにすぎない。俯瞰するということに熱くなっている。笑

つまりは、根本的にエネルギーがあるということです。

そして、そのエネルギーを奪ってしまうのは、「自分を守るために」物事を斜めから見ようとする癖。

自分のちっぽけなプライドを必死で守ろうとしたとき、人は斜めから見ることを覚え、自分を守り、

結局、情熱的に生きることも、目標に恋をすることもできなくなり、退屈な毎日を過ごすことになるのです。

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