「美味いものを食いたいけど不健康なデブは嫌だ」と同じことが、人生のあらゆる分野で起こっている

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できれば、日々何かを書いていたい。

けれど、午後になるとどうにも書けなくなる。書けないから、何かを読むか、考えている。

今日読んでいたのは、チャールズ・ブコウスキーのエッセイ「死をポケットにいれて」。

チャールズ・ブコウスキーに関しては、数年前に「勝手に生きろ!」という小説を一冊だけ読んでいた。

この間一緒にトークライブをした長倉さんがチャールズ・ブコウスキーが好きだということで「らしいな」と思い、昔読んだ「勝手に生きろ!」を引っ張り出してきて再読。

なるほど、面白い世界観だなと思っていたところ、書店で「死をポケットにいれて」を発見。

心が躍った。

というのも、なぜか、作家の書くエッセイに目がない。エッセイ大好き。

好きな作家のエッセイを読む時間は至福の時間で、基本的に好きな作家のエッセイは全部買う。他にないものかと必死で探したりもする。

(今回の記事のような誰かに何かを伝えようと意図していない文章を書くと、どうしても「である調」になる)

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で、午後になるとあまり書けなくなるということで、スタバでアップルパイとスターバックスラテをお供に読んでいる。

ちなみに、食事についてだけど、健康に気を遣っているのかいないのかで言うと、どちらとも言えない。こうやってアップルパイなど食べているし、ラテも飲む。アップルパイは普段は食べない。珍しい。

だけど、気を遣っている部分もかなりある。つまりは、食事についてはかなり中途半端な男だということ。だけど、今のところそれを変える気もあまりない。

「食事は使命のために食べている」というボディビルダーがいるが、すごいなと思う。そこまで、割り切ることはできない。

美味いものは食べたいが、不健康も嫌だしデブも嫌だ。特にデブはかなり避けたいと思っている。だけど、顔に肉がつきやすく、そこまで太っていないのに少し太るだけでかなり太っているように見え、損をしていると思っている。ただ、良いように捉えれば、そのおかげでデブになるのを避けられるということでもある。

美味いものを食いたいけど不健康なデブにはなりたくないという葛藤の中で、何を食べるかは選択されていて、その結果として、中途半端な男が出来上がっているわけだ。

だから、よくよく考えてみれば、自分の望み通りの食事をしていることになる。

ここまで書いてきて、気づいた。

これは食事だけでなく、人生におけるあらゆる分野で言えることなのではないか。

チャレンジしたいけど怖い。

その葛藤の中でベストなポジションを人は選ぶ。

怖れが強ければ現状維持感が強くなる。怖れが減ればチャレンジする。

その葛藤の中からベストなポジションを人は選んでいて、よくよく考えれば、その人は望み通りの選択をしているのだ。

美味いものを食べたいが不健康なデブは嫌だ。

これと同じことが起こっている。

結果は欲しいけど、現実の生活や習慣を変えるのは嫌だ。

結果は欲しいけど、緊張とか不安とか嫌だ。

その葛藤の中で、人は自分にとって「ちょうどいい」と感じる選択をする。

そういうものなのだ。

だから、人は実は常に望み通りの現実を生きている。

それが紛れもない事実だ。

何かをしないなら、何かをしないことにメリットがあり、何かをしないことで得ているものがある。

そのことに気付かない限り、変わることはなく、望み通りの毎日を生きているのにブウブウと不平不満を言いながら毎日を過ごすという、よくわからない状態になるだろう。

そんなことを、思った。

さて、そろそろチャールズ・ブコウスキーのエッセイに戻ろうと思う。

そして、夜にまた、物を書くのだ。

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