なぜ、やりたいことができないのか?それは中途半端な人間関係のしがらみに邪魔されているからだ

スクリーンショット 2015-11-28 11.04.51

 

基本、好き勝手に生きている。

ただ、なぜそれができるかを考えたときに、余計な人間関係がないからだと言える。

その結果、人からどう思われるかで人生の選択することをもなかった。

京大を辞めたと言うと「辞めるとなったとき、止められなかったんですか?」と聞かれることがあるが、

そもそも誰にも相談などしなかったから、自分が大学を辞めることなど誰も知らなかった。

全てが事後報告だった。

事後報告なのだから、止めようがない。笑

何人かいた友達は、「まあ、いけじゅんはそうなると思っていた」というくらいに受け取ってくれた。

逆に、友達が多ければ、いちいち説明が必要になって面倒くさいことになることが多い。

何かを始めることにも、やめることにも周りの友達たちに理由を説明しなきゃならない。

「なんでそうするの?」と聞かれて、まっとうな理由を説明しなきゃならないわけだが、

まっとうな理由などない場合はどうすればいいのか。

嫌だからとか好きだからとか、所詮そんなところ。

でも、そんなことじゃ納得してくれない。

結果、なぜか「周りが納得する理由を説明できないから、することをやめる、やめることをやめる」となる。

笑。

人間関係が増えると、しがらみが増える。

もちろん、喜びだって増える。

友達を作るなとか、人間関係を作るなという話ではなくて、

しがらみが自分の自然な動きを止める可能性についても頭に置いておくことが大事だ、ということ。

例えば最近少し感じるところがあって、このブログにしても、最近は読み手とつながることも多いことで、「読み手が見えすぎる」ということがある。

昔は、読み手が見えすぎるということはなかった。ずっと、ネットが活動の中心だったから。すると、結構書きやすい。

逆に読み手が見え過ぎれば、読み手の様々な感情を感じることになるし、こういうことを書くと傷つけてしまうのではないかとか、どう思われるかという思念が入ってくる。

それによって表現が制限される、ということも感じてきた。

ある意味、そこは自分勝手になる必要があるし、自分勝手になっていいと自分に許可を出すことが大事なのだろう。

でなければ、書くものは次第に「心」のこもっていないものになっていく。

人間関係を築かないということではないけれど、築いてきた人間関係に縛られすぎない。

大事な選択をするときは、人間関係を一旦置いておいた上で自分がどうしたいのかと向き合う必要がある。

意見の違い、考え方の違い、それはある。

自分の生き方、考え方に反対の人だっているだろう。

それは自分にはコントロールができないし、コントロールしようとする必要もない。

人間関係は大事。

でも、その人間関係で自分を犠牲にしないこと。

人間関係を大事にしつつ、自分のことも大事にできるのが一番よいのだろうと思う。

 

どうしても達成したいことがある、恋愛を成就させたい、自信を持ちたい、自分が望むライフスタイルを手に入れたいという、自分の可能性を信じる人に向けた限定のメルマガも書いています。無料なのでよければ。

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

いけじゅんBARも好評です!

:いけじゅんBAR第2回「なぜ、大きな目標はあるのに行動できないのか?」

 

「人生で大切なこと」をストーリー形式で面白く読める「学べる物語」記事はこちらから全て読めます。

スクリーンショット 2015-11-28 11.04.51