なぜ、学んでも現実が変わらず、魅力的にならない人がいるのか?

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たくさん学んでいるはずなのに、現実が変わらない、魅力的になっていない、という人がいます。

なぜ、そういうことが起こるのか?

端的に言えば、

学ぶことでアイデンティティが満たされた

ということでしょう。

アイデンティティが満たされたって若干言葉が微妙ですが、

要は、学ぶことで、

「俺は色々知っていて、他の人よりも上だぜえ」

となっているということ。

それで満足しているということ。

「人よりも上だぜえ」と感じたすぎる人というのは、

色々な部分で上になろうとします。

現実的な部分でそれができないと判断すれば、うまくいっている人のアラを探すことで、心の中で上に立とうとします。

今だったら、「意識が高い自分」にアイデンティティを持って、意識が低い人を馬鹿にして現実は何もしない、という状況もあり得るでしょう。

心の中で上に立つことができれば、プライドを満たすという目的を達成することができたわけなので、

現実に何かをする必要はありません。

学ぶことで色々と分かった自分にアイデンティティを持てば、

それで目的は達成できたわけなので、何もする必要はありません。

というかむしろ、現実的な何かはしようとは思えなくなるはずです。

だって、そっちはやってこなかったわけですから、素人同然。

ということは、何かをしようとすれば人よりも「下」になってしまうことが増えるわけですよね。

それは何としても避けたいわけですから、何かをすることは避けるようになって当然。

何もしない方が、プライドを保つことができる。

失敗だってしたくないし、恥をかくこともしたくないし、批判もされたくない。

守りたいのはプライドだけ、ということになります。

すると、色々とチャレンジしていこうという気持ちよりも、

自分を守りたいという気持ちが強くなります。

結果、現実的には何もしないし、その結果として魅力的にもなっていかない、ということにもなる。

ただ、ここで重要なことは、そんなことをしたところで、自分自身の人生を生きていることにはなっていない、ということ。

自分がしたいことは全然できていないわけですから。

プライドを守って自分を守っているつもりでも、深い意味では全く自分のためになっていない。

自分のためになっていると思っていることが、自分のためになっていない。

そんな状況になっている。

結局、「どこ」を目指しているのか、ということ。

大事なことは、何かにアイデンティティを付随させて自分を守ることではなく、

純粋に、単純に、やりたいと思ったことをやってみること。

純粋であることって大事だけど抽象的ですよね。

要は、プライドとか自分を守るとか比較とか上に立ちたいとかそういうことじゃなくて、

単純にやりたいと思ったことをやってみよう、ということ。

ただただ、思いに従うことができるか、ということ。

なのだと思います。

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