愛なのか?顔色を伺っているだけなのか?愛と自己保身の境界線

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愛なのか、自己保身なのか?ということについて、今日は書いていきます。

愛なのか、自己保身なのか?


 

優しさとか愛っていうのは、自分のことはどうでもいいという感覚がどこかにあるものです。

例えば、チームである「結果」を目指すときに、本当に愛のある人物ならどうするか?愛とごまかされた自己保身を考えてしまう人物ならどうするか?

少しイメージしてみてください。

大事なことは、チームが結果を出すことであり、チームの勝利です。

であるにも関わらず、「自分がよく思われたい」とか「周りからの評価が欲しい」というそっちに意識が向いたとき、本当にチームのためになる発言はできません。

空気を読んで、突出しないようにして、本当に切り込むべきところに切り込むこともできない。

しかも、全員がそういう状態になると、あえて切り込んでいくような人を「うとましい」存在だと認識するようになります。

そうなれば、結果を出すことはできないでしょう。

嫌われてもいい、と思える人こそがチームを導ける


 

本当に問題の核心に切り込んでいこうと思えば、チームの勝利という結果のことを考えれば、自分が嫌われ者になってでも切り込んでいこうとする人がいても良い。

でも、その「あり方」を取れる人はなかなかいません。

「自分がどう思われるか」というところにどうしてもフォーカスがいってしまうのです。

さらに言うと、愛や優しさという言葉で、自分の本心をごまかせてしまうということもあります。

例えばそこで「意見のぶつかり合い」があったとしても、それは周りにいる人々を否定しているわけではなく、チームの勝利のための「貢献」から生まれたもの。

「意見」と「その人」は別です。

意見は違ってもいいし、そうであるからこそ、より良い答えを見つけ出せる。

意見が違うからその人を嫌うというのは、未熟なあり方でしょう。意見と人は別。

意見のぶつかり合いは、相手をバカにするために行っているのではなく、ただただチームの勝利のために考えるべきことは考えておきたい、と思ってやっているにすぎません。

もちろん、相手をバカにするためにやっている人もいます。そこは「感じる」しかない。

逆に相手をバカにしている人は、この記事を読むことで「自己正当化」ができてしまうわけで、結局は己の心と真摯に向き合う姿勢が必要になります。

どう思われるか?ではなく、結果につながっているかどうか


 

結局のところ、「自分がどう思われるか」ということを気にする人だけが集まった集団では、

建設的な議論を行うこともできないし、問題の核心に触れることもできません。

いつも他人の顔色を伺い、どう思われるかを気にし、本当に必要なことには触れずに終わる。

結果、チームが負ける。それでも、まあいいか、という空気になる。(そこで本気で悔しがる人がいるかどうかもも重要)

いつも「本当の目的」を忘れないでいられる人が、そこにいるのかどうか。それだけで結果は大きく変わってくる。

これは日常のありとあらゆる場面で言えること。

「自分がどう思われるか」

にフォーカスしていれば、本当にお客様のためになることもできないかもしれないし、大切な人を守ることもできないかもしれない。

好きな女性とデートすることだってできないだろうし、本当に色んなことができなくなります。

そうではなく、「何が大切なのか」「何が目的なのか」を忘れないことがすごく大事なことなのでしょう。

 

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