なぜ、嫌な奴は嫌な奴なのか?

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嫌な奴、と呼ばれる人がいる。

今日は、嫌な奴がなぜ嫌な奴なのか、ということについて考えてみたい。

無駄に。

今回想定されているのは、

ある特定の人物だけに嫌な奴と言われているわけではなく、ある集団の中にいれば多数の人からそう思われてしまうような人だ。

ある特定の人物にだけ悪く言われている場合、その特定の人物こそが真に嫌な奴である可能性が高い。

その人物は、先に「あいつは嫌な奴」情報の発信源となることによって、自らがそう認定されることを巧みに回避しているわけだ。

最初は「そうかなあ?」なんて取り合わなかった人たちも、その人の悪口暴言を聞いているうちに、

本当にあの人は悪い人なのかもと思えてくるものだから、恐ろしい才能の持ち主だと言える。

ここではそういう人物について深くは触れない。

そっちではない方の嫌な奴と呼ばれる人は、なぜ、嫌な奴だと感じられてしまうのか。

そこを考えてみたい。

無駄に。

嫌な人とは、傷ついている人


 

結局、その人の「嫌な部分」は、その人の弱さから来るものなのだと思う。

嫌な奴とは弱い人であり、ある意味、傷ついている人なのだ。

その傷を隠すための所作が、「嫌な奴行動」になってしまう。

自分の傷と向き合わずにいる人と言ってもいい。

強い人は、良い人、良い奴であることが多い。

心に余裕があるからだ。

つまりは、満たされているということ。

己のことを己が認めていることにより生まれる自然な余裕が、雰囲気として漂っていて、

それが人に好印象を与える。

逆に、嫌な奴になってしまう人は、心が満たされていないことから来る弱さが様々な部分で表れる。

言葉にトゲがあったり、焦っていたり、怒りっぽかったり、呼吸が浅かったり。

そのトゲはどこから来るのかというと、自己防衛からだ。

防衛するということは、防衛しなければならない何かを持っている、ということでもある。

その、「自分は防衛しなければならない存在なんだ」「防衛しなければならない何かを持っている」という自己イメージこそが、その人の嫌な奴感を増していると言っていい。

または、

認められたい愛されたいがゆえに、埋まらない心の穴を必死に埋めたくて、ひたすら話し続けたりするケースもある。

周りの人は優しいので話を聞くが、聞けば聞くほど、エネルギーを吸い取られていく感覚になる。

というか実際に、吸い取られている。

ほとんどコミュニケーションになっておらず、一方的に聞いているだけなのだが、ひどく疲れる。

しかし、相手はそれを感じてくれない。

「自分を満たす」ことで精一杯だからだ。

エネルギーを奪うことに一生懸命で、相手のことにまで関心が向かない。

「話を聞いてあげる人は大人」という頭の隅にあった情報をもとに、「あなたはどう?」なんて話を振って来ることはある。

しかし、こっちが話したとしても、本当には聞いてはいない。

「おん、おん」と顎を上げ気味でうなづいて聞いたフリをしているだけで、頭の中では次に自分が何を言うかを考えている。

自分は大人であると思える証拠をしっかりと残したその人は、すぐにまた、自分の話をし始める。

なぜ、そういうことになってしまうのか?

なぜ、嫌な人は、嫌な人なのか?

結局のところ、満たされているか、満たされていないか、というところに行き着く。

満たされているか、満たされていないか


 

満たされていない人には、トゲがある。

それも、どこか深刻さを感じさせるトゲだ。

満たされている人も、キャラでトゲがあることはある。

しかし、満たされていない人のトゲは、どこか深刻なのだ。

いつもはニコニコしているのだが、そのニコニコの隙間からチラリと出てくるトゲが、異様に鋭い。

ドキッとさせられる。

そして、そのトゲの鋭さにこそ、その人の本質が現れていることが多い。

見える人には、そのトゲの鋭さが見えて、あまり深くは関わらないようになる。

いつそのトゲが、自分に向かってくるかわからないからだ。

逆に、良い人の特徴は「普通」であることだと思っている。

「普通である」凄み


 

力が抜けていて、もう、「普通」なのだ。

しかし、その普通さにこそ、凄みが表れている。

普通さこそが凄みであると、私は思っている。

何かを乗り越えて普通に至った人の普通さは、見ていて清々しく、人間としての深い成熟を感じさせる。

その人がそこに存在しているだけで、その在り方で存在しているだけで、オーラを感じる。

良い奴にも満たされていない人がいますよ!と言う人がいるかもしれないが、

それは大抵、自ら満たされなさを求めている人だ。

ハングリーでいたい人とも言える。

しかし、自ら満たされなさを求めているということこそが、その人が満たされている証拠なのだ。

満たされているからこそ、満たされなさを求めている。

逆に、満たされることを求めているのは、満たされていないからだ。

面白いのは、その人の現在の状態は、その後も続くということ。

満たされていないから満たされたくて話続ければ、

それを聞かされた側はエネルギーを奪われ、それが嫌で次第にその人を避け始め、その人は孤立する。

結局、満たされなくなる。

その人がネガティブな状態でいればいるほど、現実はネガティブになっていく。

結局、自分の状態を良くすること、自分を満たすことが第一で、それができれば自然に周りとの関係は良くなっていく。

周りに先に変われと言ったって、変わらない。

周りの人がどうであるかは、自分の「在り方」の反映だからだ。

自分の「在り方」と向き合うことで、周囲や現実は変わっていくという、

そういうことなのだ。

 

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