自分を責めるだけの自己否定を終わらせる技術

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今日は「自己否定」について扱っていきたいと思う。

自分を責めるだけの否定に、さよならを


 

基本的に、「自分を責めるだけの自己否定」には意味がない。

自分を責めるだけの自己否定には、次に向かうエネルギーが存在しないからだ。

例えば、あなたがフリーランスで何かビジネスを始めようとしているとしよう。

すると、集客をする必要が出てくるだろうし、ビジネスモデルについて考える必要も出てくるかもしれない。

最初の頃は何もかもがよく分からない状態だからよく失敗もするし、できる人からすれば「もっとこうしたらいいのに」と思われるようなこともするだろう。

ということは、「あ、このやり方じゃなくて、こういう風にやろう」と、改善する動きをたくさんすることになる。

ある意味それは、自分のこれまでのやり方を否定する、ということでもある。

だが、それを「問題だ」と思う人はいないと思う。

ある意味それも自己否定ではあるのだが、問題だとは思わず、健全なことだと思うだろう。

そう、上手くいかないやり方を改善していくということが悪いわけがない。

むしろ望ましいことだし、そうやって人は自分の願望に近づいていくものだ。

ただ、多くの人を苦しめる自己否定というのは、そこに「次に向かうエネルギー」がない。

ただただ自分を否定する、自分を責めるだけで終わってしまうのだ。

そこが一番不毛なところで、責めるだけの自己否定というのは物事をよくしない。

しかし、なぜ人は責めるだけの自己否定をしてしまうのだろうか?

なぜ人は、自分を責めるのか?


 

それは、

「こんなことでは承認されない」と思うからだ。

例えば、失敗してもミスしてもそれでもあなたは愛されるとしよう。

仮定でいい。もしもそうだったら、と考えてもらいたい。

あなたの隣でコーチが「失敗するとかしないとか、それがあなたの素晴らしさに何か関係あるのか?」という愛の姿勢で隣にいるところを想像してみてほしい。

あなたは今の自分にとって難しいことにチャレンジして、失敗をした。

恐る恐る隣を見ると、コーチが「だからどうしたの?素晴らしいチャレンジだったね!」と笑っている。

さてこのとき、あなたは自分を責めるだろうか?

自分を責め、否定するだけで終わるだろうか?

そんなことはない。

あなたはコーチと一緒に「じゃあ、次はどうしようか?」と考え始める。建設的に物事をよくしていく動きを取ることができる。

そうやって、着実に一歩ずつ自分の願望に近づいていくことができる。

じゃあ、逆のケースを考えよう。

あなたの隣には、ミスを一切許さない鬼軍曹がいるとする。

しかもその鬼軍曹は、人格否定とも取れるような発言を普通にする。

愛のある鬼軍曹ではなく、愛のない鬼軍曹だ。

世の中には愛のある鬼軍曹もいるが、自分に対する愛を持てない人は、全ての鬼軍曹に愛がないように見えるものだ。

話を戻そう。

あなたは、鬼軍曹がトイレに行っている間にミスを犯してしまった。

鬼軍曹はその場にはいないが、そのときあなたは強く自分を責め始めるのではないだろうか。

やはり自分はダメなやつで、できないやつだ。終わった…

と思うのではないか。

そして、鬼軍曹はトイレから戻ってくる。

あなたは、鬼軍曹が怒鳴り散らすだろうとビクビクする。

しかし、鬼軍曹はあなたがミスしたことに気づくと、白けきった顔をして鼻で笑いあなたを注意することすらしない。

もういいよ、お前は所詮その程度だってことは俺には分かっている。という態度だ。

あなたは、鬼軍曹にすら見捨てられたと思う。

そのときもまた、自分を責めるのではないだろうか。

行動したくなくなる理由とは?


 

あなたは、何かができるとかできないとか、持っているとか持っていないという基準で自分の存在を裁かれてきた。

だから、何かができない、持っていないという経験を強く怖れる。

だから、自分の実力がバレてしまうことや、できないという経験をするであろうことを避けるようになる。

そういう場面になりそうになると、先に自分を否定し自分を責めて、物事に取り組むことを避けるようになる。

自分を責めるだけで終わり、次に向かうエネルギーは持てなくなる。

むしろ、次へ向かうことはしたくなくなる。

ただ、当然、自分の願望はある。こうしたい、という思いはある。

思いはあるが、同時に怖れもある。

裁かれるのではないか、否定されるのではないか。

できないという経験をすることになるのではないか。

自分がまだあまり実力がないということがバレてしまうのではないか。

あなたは、怖れる。

本当はしたいことも願望もあるのだが、怖くなる。

そこでモヤモヤが生まれる。

右へ行きたい自分と左に行きたい自分の間で葛藤する。

葛藤し、消耗する。

消耗し、疲れ、どこにも行きたくないと思う。

これが、自分を責めるだけで終わる自己否定の正体だ。

否定されたらおならをしておけばいい


 

根本を辿れば、承認されないのではないか、自分はダメな存在で価値がないのではないかという怖れが存在していることが分かる。

しかし、大事なことは、あなたがミスしようが失敗しようが、それでもあなたは愛されているということだ。

失敗した?

だから何なんだ。

それがあなたという存在に、どんな影響があるというのか。

それがあなたの素晴らしさに、どんな影響を与え得るというのか。

バカバカしい。

バカバカしすぎて、おならが出そうだ。

失敗しようが恥をかこうが振られようがお金がなかろうが結果が出なかろうが、そんなことはどうでもいい。

そんなどうでもいいことを気にせず、あなたは自分の願望に向かっていけばいい。

失敗したり、うまくいかないことがあったら、

じゃあ、どうする?

と次を考えればいい。

過去をいつまでも引きずる必要はない。

じゃあ、どうする?

と考え、どんどん自分の願望を実現していこうじゃないか。

そんなあなたを私は全力で応援したいと思う。

 

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