嫌われてもいいと思えたら好きな人が増える法則

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誰もが人に嫌われたくないと思う。それはそうだ。

でも、今日は、「嫌われてもいい」ということについて書きたい。

嫌われてもいいと思えば、人生は楽しくなる


 

そう思うことができれば、人生はすごく生きやすくなる。

「そんの無理ぷー!」と言う前に、少しだけ続きを読んでみてほしい。

「嫌われてもいい」ということをこれから書こうとしている私だって、

できることなら人に嫌われたくないし、好かれたいと思う。

よくブログにも書く過去の経験は、私の「好かれたい」「嫌われたくない」という思いをすごくに膨れ上がらせたと思う。

私は昔、人から嫌われないことを最優先にして人生を生きていた。

当時の私はまず相手から自分がどう思われているかを考え、

どうすれば良い印象を与えることができるのかをよく考えていた。

相手の言動に一喜一憂して、家に帰ってから「あれはどういう意味だったのだろう?」と一人反省会を開催し、

一人で勝手に落ち込んでは「ああ、嫌われた」と嘆いた。

しかし、翌日学校に行ってみるとあっけらかんとした顔つきで「よ!池田、おはよう!」と言われ、ものすごく安心すると同時に、

昨日までのあの苦しみは一体何だったのかと複雑な気持ちになっていた。

それほど私は嫌われることが怖かったし、

どうすれば嫌われないで生きていくことができるのだろうかと日々模索する人生だった。

ただ、そこまで「嫌われない」ことを突き詰めた人生を生きてきてわかったことは、

嫌われないことを最優先にすれば、人生は上手くいかなくなる

ということだった。

嫌われないことを最優先にすれば、人生は上手くいかない


 

嫌われないことばかりを考える人間は、

自分は相手のことを好きなのか?

自分は相手のことを愛しているのか?

という、自分は相手をどう思っているのかという感覚を持つことができなくなっていく。

自ら主体的に相手のことを好きになったり相手に関心を持ったり、相手を愛するということができなくなっていく。

自分にしか興味がなくなり、相手に興味を持つことができなくなっていくのだ。

しかし、そんな人間に誰が興味関心を持つだろうか?

嫌われないことばかりを考えて生きていれば結局のところ、深い興味関心を持たれないような人間になっていく。

そんなことに気づいてから私の生き方も変わっていった。

嫌われてもいいとしたら?と考えながら日々を生きるようになったのだ。

嫌われてもいいと思えば、自分の好きに気がつく


 

それが「無愛想」をテーマとした5冊目の本が生まれたきっかけでもある。

そうやって人に嫌われてもいいと思えるようになってから、面白いことが起こった。

なんと、

好きな人が増えた。

いや、もうちょっと正確に言えば、

好きだと認めることができたのだ。

そのとき初めて、

どれだけ自分がその人が自分を好きかどうかで自分の好き嫌いを決めていたか、に気づいた。

それまではものすごく受け身だったわけだ。

自分から相手を好きになって自分から関係性を築いていこうとする気がほとんどなかった。

相手から関係性を築いてもらうばかりで自分から関係性を築こうとする意識や行動を一切取っていなかった。

それでは当然人とのつながりを感じることもできない。

自分から人を誘うようなことはしない。自分から何かを企画したり人とのつながりを作るような行動はしない。

それは、私がずっと受け身だったからだ。

受け身の姿勢が、人とのつながりを断つ原因に


 

相手に関心を持ってもらったときだけ、関係を構築する。

「自分が相手を好きかどうか」に主眼を置くことができないがゆえに、

自分が好きだから、自分が一緒にいたいから声をかける、誘う、関係性を構築しようとする、という行為を取ることができなかった。

はっきり言って、そのせいで深めることができなかった人間関係もあったと思う。

本来であればつながることができた人、つながり続けることができた人との関係性が切れてしまった、ということも経験した。

それは結局のところ、

私自身が相手が好きだという気持ちを無視して、いつも相手に頼りきりで、

いつも相手の行動次第で、相手が自分をどう思っているのかにしか関心がなかったからだ。

自分から主体的に関係を構築しようとせず、向こうが関係を構築しようとしてきてくれたときですら、

自分の消極的な姿勢が相手の好意や愛を受け取らせなかった。

自分が関係性を構築することに関心が薄いがゆえに、

関係性を構築しようとしてくれる人に共感することができないのだ。

当時、私は冷たい人間だったと思う。

その冷たさは己の恐れから生まれていた。

自分自身がどう思われるかにしか関心がなかったがゆえに、そこにしか関心を持てないくらいに恐れが強かったがゆえに、

相手に関心を持つことができなかった。

その冷たさは己の恐れや悲しみから生まれていたことに気づいたときから、私は徐々に変わっていった。

今では、人を応援することや、人に力を与えたり愛を与えたり、人を信じるということの素晴らしさを体感している。

それがコーチという仕事にも全て生きている。

嫌われるのが怖いから、好きではないことにしていた


 

昔は、

本当に好きな人に嫌われるのは怖いから、あんまり好きではないことにしておくということもよくあった。

本当は好きなんだけど、嫌われたら嫌だから好きだという気持ちをセーブしておくわけだ。

好きだと認めるのは悔しい!とかいうよく謎の気持ちもあったような気がする。

でも、好きだからチラチラと見たり情報をチェックしたりしている。

人間の本当の気持ちというのはどうしたって行動に出る。

頭で「いやいやいや、好きじゃないし!」とその本当の思いを打ち消すことは可能ではあるけれど。

でも、そんなことばかりしているから、

何が好きなのかわかりません!

好きな人がいません!

という状態になっていく。

もっと自分に素直になれば、好きな人がいたことや好きなことがあったことに気づくことができるはず。

嫌われてもいいとしたら?うまくできなくてもいいとしたら?

その前提で考えていくことで、自分の正直な気持ちに気づくこともできるはずだ。

 

嫌われたくないと思えば思うほど、嫌われてはいけないと思えば思うほど、

何が、誰が、好きなのかはわからなくなっていく。

 

逆に、嫌われてもいい、うまくできなくてもいいと思えば思うほど、

何が、誰が、好きなのか分かるはずだ。

 

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