昨日もイケジム。楽しかった。メンバーがいいんだな。
好きな人たちと関わっていたら人生は楽しい。
では本題。
受験勉強をしていたときに、あまりの自分の不器用さやポンコツさ、要領の悪さに何度も嫌気がさしていたのだけど、
そのとき、自分に自信を持とうとして、
「俺だって要領よくできるはずだ!俺だって器用になれるはずだ!」
と、不器用な自分を否定して勉強していた時期があった。
けれど、そんなことをしていると何が起こるかというと、
当たり前だけど、不器用な自分に何度も直面するわけで、その度に落ち込む。
「え、あんなこと自分で言ってたのに、全然できてない…」
となる。
結果、勉強が手につかなくなる。
当時の自分にとっては、
要領の良い男になるということが、自分に自信を持つということ
だった。
今振り返れば笑える。
ただ、あるとき、その状態が一変。
それは、
「不器用でもいいか」
と思えたとき。
不器用でもいいか、と思えたときに、効率よくできる人や要領よくできる人への嫉妬や憧れのようなものがなくなっていって、
ただ、今自分ができることに集中することができるようになった。
明らかに自分よりも勉強量が少ないのに成績が良い人がいても、
「まあ不器用だからしゃーない」
と言えるようになった。
そうすると結局何が起こるかというと、余計なことを考えずに目の前のことに集中できる。
勉強がはかどる。とりあえず、手が動く。
手が動けば、成績も着実に上がっていく。
そうしたら、京大にだって合格できた。
ただ、それまでなぜ不器用な自分を認めることができなかったかといえば、
不器用な自分を認めるっていうのは、何となく「損」な気がするからだ。
「損を受け入れられない」ということが、多分、自分を受け入れることが難しい人にとっての大きなポイント。
ただまあ、実際には損じゃない。
ひっくり返すと自分の武器そのものだったり、そこにこそ気づくべき大切な何かがあったりするのだけど、
どーしても、それが信じられん。
どーしてもそれが信じられんくて、自分は損ばかりしていると信じている。
あの人に比べて、自分は損していると思っている。
そして、その勘違いの損を受け入れることができなくて、
損したらダメ
私はかわいそう
と思う。
他人がどうこうをあれこれ考えては、今に生きることができなくなる。
今に生きることができないから、思考に力を奪われていって、あれこれ考えている間にネガティブになっていく。
自信を持つというのは、何かができるとやれるということではない。
そこを勘違いしていると、結局メンタルがアップダウンして、淡々とはできなくなる。
いや、もちろんアップダウンしてもいいし、淡々とできなくてもいい。
ただ、そういうことが起こっている、というだけのことなのだけど、
大事なことは、今の状況、今の自分を受け入れた上で、今できることをすること。
そのためには、損してもいい、と思うこと。
損してもいいと思って今に生きてやっていると、「あれ、これ、案外損じゃなかったんじゃね?」となる。
「こいうのも良くね?」となる。
損してもいいと思えたときに、損じゃなかったと気づいたり、それ以上のことが返ってくる。
損したくないと思えば思うほどに、動けなくなり、自分を卑下し始め、被害者意識は強くなっていくという、
そういうこと。
メンタルジム「イケジム」は、7月26日(火)19時から再募集開始。
すでに参加表明のメールももらっていますが、募集開始までお待ちください。
より深い内容はメルマガに書いているので、よければ。
オンライン人生相談BAR「いけじゅんBAR」もやってます。
いけじゅんBAR第4回「どうすればネガティブ状態から抜け出せるか?」