例えば、親から自分の生き方を否定されたり、反対されたりすると、どう感じるだろうか?
多分、嫌になると思う。
親の言うことなんて聞いてやるもんか!と思うかもしれないし、
「親は分かってないなあ」なんて思うかもしれない。
実際、頭ごなしにガチンコで否定したり生き方を強要しているケースもある。
ただ、あまりにも否定されたり責められたりすることに敏感すぎると、
現実的に向き合ってくれているのに、それを否定だと受け取ってしまうことがある。
親は子供によくなってほしいと思っているから、現実的に地に足がついていないと感じたら、真剣に「どうなんだ?」と問いただしてくれることが多い。
現実的に幸せになってほしいと思えば、ときにはそういう厳しいこと、現実的なプランを確認する必要も当然ある。
でも、本人があまりにも否定や責めに敏感になっていると、
そういうことすらできなくなっていく。
ただ向き合っているだけなのに、否定とか責めだと受け取り、「責めないでいい」というメッセージを使って、全力で拒絶する。
「親の在り方は間違ってる」と。
例えば、こういうケースがあった。
ある若者が、これから自分でビジネスをしていきたいと思った。
けれど、親はサラリーマンをやっていて、子供にもまずサラリーマンを、と考えている。
そこで、子供の選択に厳しい意見を投げかける。
当初、子供の側は親の反対に嫌気が差していたところがあったのだけど、
今では、親が納得せざるを得ないだけの結果を出せばいいのだ、と思い至っている。
「自分ができること」にフォーカスを当て始めたんだ。
被害者になるでも、誰かのせいにするでもなく。
反対が逆にエネルギーになっている。
親だって無闇に反対したいわけではなく、ただ真剣に子供の人生を考えているだけだった。
このケースを見ていくと、
親が真剣に向き合った結果として、子供も真剣になっているということが分かる。
反対意見を投げかけることによって、自分の意見をより強く持てるようになり、
さらにそこに覚悟というか、やっていくぞ、という強い思いも乗る。
逆に、全く向き合わないケースというのは、
全てが「なあなあ」になっていくことが多い。
子供に嫌われたくないから何も言わないとか、喧嘩になるのが嫌だから何もしないとか、そういうケースだ。
「なあなあ」な姿勢になっていくと、年だけ取って何も現実は変わらず、現実を生き抜いていく力も何も身に付かず、
「これでいいのか?」という不安を抱えながらズルズル人生を生きることになる。
子供が地に足がついていたら反対しないけれど、どこか真剣になっていない、どこか浮ついたところがある。
だから、しっかり意見を言っていく。
そういう親だってたくさんいる。
でも、その真剣さが否定とか責めだと解釈されてしまう。
そうなってしまうのは、実際に子供の側が、
真剣さや現実を見据えながら理想を実現していく姿勢に欠けているからだ。
自分のそういう部分を直視したくないからこそ、向き合うことから逃げる。
現実から逃げる。
現実から逃がしてくれない親から逃げる。
もちろん、本当に頭ごなしに否定してくる、生き方を強要してくる親だっている。
本当にひどい親も現実にいる。
在り方として微妙、言い方もキツイ、そういうことだってある。
そこは真摯に判断しなきゃいけないし、自分が今どういう状況なのかよく理解しないといけない。
今回の記事で扱いたいのは、
実は真剣に向き合ってくれているのに、子供の側が向き合うことから逃げているケースについてだ。
基本的に、親は変えられない。
親が変わることを期待しても、親は変わらない。
逆に、自分が変わる、自分の親に対する見方を変えることで、変わっていくことがある。
見方を変えると、味方になる
ってことが本当にあるんだ。
親だって子供に尊敬されないことが怖いし、子供に嫌われることだって怖い。
もっと言えば、
子供が幸せじゃなくなってしまうのが怖い。
だから、あーでもないこーでもないと言いたくなるし、
誰も向き合わなかったとしても、自分だけは向き合ってやろう、と思っていたりする。
向き合い方が下手くそだとしても。
どう向き合っていいのか分からないとしても。
でも、こちらが真剣に向き合う姿勢を持って、自分の気持ちを正直に語ることで、
お互いが分かり合えて、手を取り合いながら進んでいくこともできる。
親を低く評価すればするほど、親もあなたを低く評価してくる。
ただ、あなたの親に対する見方が変われば、
最高の味方になってくれることだってあり得るんだ。
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いけじゅんBAR第2回「なぜ、大きな目標はあるのに行動できないのか?」
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