優しいのだけど…
いい人なのだけど…
ということがよく言われる。
「…」の先は、色々。
男女の恋愛であれば、「抱かれたいとは思わない」とかか。
おっと、いきなり刺激の強い言葉を失礼。
優しいだけの人は、なぜか損をすることが多い。
別に損してもいいんだけど、その損の仕方はちょっと向き合ってもいいところ。
昔、典型的な優しいだけの男だった頃、何度も悔しい思いというか、何でだよと思うことがあった。
そのとき、痛感したことがある。
ああ、自信のなさを優しさでカバーすることはできないんだな、ということだ。
自信がないと、とりあえず優しくして、愛想をよくして好かれようとする。
自分の自信のなさを補うように優しくなる。
でも、それはうまくいかない。
例えば、好きな女性がいるからって何かと優しくする人っているけど、うまくいかない。
奥にある魂胆を見抜かれているから。
じゃあ優しいのはダメなのかっていうと、もちろんそんなことはない。
優しさに罪はない。
優しさは素晴らしい。
ただ、優しさにも「質」があるというのかな。
自信のなさを補おうとする優しさ。
好かれたいがための優しさ。
そういう優しさは相手に響かないし、また魅力的にも映らない。
抱かれたいとは思えない。
でも、それが分からないと「もっと優しくしないと」と考えて、より自己犠牲的になってどんどん悪循環にはまっていく。
実際、そういう男性は本当に多い。いや、女性もそうかもしれない。
どうしても、自己犠牲的になってしまう。自分を下げてしまう。
愛想をよくしていればどうにかなるんじゃないかと思ってしまう。
でも、そうじゃないんだ。
そういう人にこそ、新刊「無愛想のススメ」を読んでほしいと思う。(アマゾンに登場しました。12月15日発売)
笑顔に罪はない。
愛想の良さに罪はない。
ただ、それらが生まれている「根本は一体何なのか?」が大事で、
今回は、その部分に真正面から切り込んでいったのでぜひ読んでみてほしい。
本物の笑顔を取り戻すために、無愛想を勧めてます。
結局、何が大事なのかといえば、イケジムでよく扱うことだけど、「本物の自信」とは何か?を理解し、体感すること。
そのための具体的なトレーニングを積むこと。
自分の前提と向き合い、前提を変えていくトレーニング。
新しい在り方を選択するトレーニング。
そういったものを積んでいくことで、だんだんと自分が醸し出す雰囲気も変わっていく。
そうすると、本当に現実は動いていくし、何より、格好良さが増していく。
俺たちはもっともっと、自分の存在自体に自信を持って、自分自身を愛していいんだ。
より深い内容は、メルマガにて書いてます。
オンライン人生相談BAR「いけじゅんBAR」もやってます。
いけじゅんBAR第2回「なぜ、大きな目標はあるのに行動できないのか?」
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