原稿が書けなくて絶望した自分を救った考え方とは?

スクリーンショット(2015-06-22 12.17.14)

何かを始めるときには、あまり深く考えすぎないことも大事。という話を。

私自身、普段から色々と考えているので、余計な場面で考えすぎることがあります。

例えばですが、文章を書くということについて言うと、今回の3冊目の本を書いているとき、書けなくなったことがありました。

Macに向かって文章を書こうと思うのですが、頭の中で色んな議論が起こっているのと、自分の文章にダメ出ししたり、人がどう見るかということをあまりにも考えすぎた結果、

手が動かなくなったんですよね。

ただ、1ヶ月で書かなくちゃいけなかったので、そんな悠長に構えている場合ではなかったわけです。

さて、どうしよう。コーヒーを飲んだり、場所を変えたり、運動してみたり、人と話してみたり色々しました。

でも、そのどれもが上手くいかず。ああ、手詰まりだな。俺はもう文章を書けないのかと絶望しました。ちょびっとだけ。

ただ、考えに考えた結果、ついに気づいたんです。

あ、考え過ぎだと。

そこで、こういうことを始めました。

「クソつまらない、分かりにくい文章でもOKだということにしよう」

しかも、きちんとワードで書くのではなく、エバーノートにメモする感じで書こう。エバーノートに気軽にメモする感じで書いて、あとでコピペしよう。

そう思って書き始めたんです。

じゃあ、力が抜けて、スラスラと書けたんですよね。

(なので、『毎日15分自分と向き合えば、「欲しい結果」がついてくる』の原稿は、ほぼ全てエバーノートに書いたものをコピペして、形式を整えたものです)

で、何でスラスラと書けたのかということなのですが、

『自分のことを批判する自分の存在が薄れたから』ではないかと思っています。

自分の文章を批判する自分の存在というのは、実は必要な存在です。

そいつがいるから、自分の文章も磨かれていく。

だから、そいつが「悪」だということではないのですが、あまりにもその存在が強過ぎると、書けなくなるんですよね。

自分の中にいる自分というのは、どれも悪ではなく、それぞれ役割があります。

自分の中であーでもないこーでもないとやり取りすることは大事で、それがなさすぎると、文章でも何でも上達はしません。

しかし、一方であまりにもそんな自分が強過ぎると、何もできなくなります。

書くということだけでなく、あなたの普段の生活の中でも、自分のことを批判する自分がいないでしょうか?

勉強でもいいし、何でもいいですが、何かを始めようとした。

でも、そんな自分を「できるの?」とか「上手くやれるの?」「下手っぴでしょ?」とか言ってる自分。

そんな自分がいるからやたらに準備しようとしたり、上手くやろうとしすぎて、結局それらで大変になっちゃって、やらない。

何をするにしても、自分が自分をジャッジしていて、素直にしたいことができない。

恋愛とかでもありそうですよね。

もしもそういう自分の存在に気づいたときには、

上手くやれなくてもいい、失敗してもいい、恥をかいてもいい

くらいのスタンスでやった方がいいです。

最初から完璧を目指しすぎないこと。

文章でも、最初から完璧を目指すのではなく、60〜80%くらいの出来の文章を最初に書いて、そこから修正していって100%にしていけばいい。

というか、60〜80%の出来でいいと思って書くと、

「いや、これでいい。これ以上にはできない」と思うようなものが書けていたりするものなんです。

で、ここが大事なのですが、実際に何かをしてみないと、成長もないんですよね。

不十分だとしてもやってみるから、そこで色々と体感を通して学ぶわけで、自分のことを批判しすぎずに、上手くやれなくてもいいからやってみる。

未熟なままでいいからやってみる。すると、そこから何かを学んで上達していく。

そのスタンスでいた方が続くし、結果的に実力もついていく。

一番まずいのは、あまりにも完璧を追求しすぎて何もできなくなってしまうこと。

そうすると、何も経験できず、何も体感できず、成長もできなくなってしまうわけだから。

ガチガチに動けなくなってしまっている人は、少しだけ力を抜いてみてください。

それだけで、動けるようになると思います。

スクリーンショット(2015-06-22 12.17.14)

もっと楽しんでいいから!

 

最近好評の「物語」記事はこちらから全て読めます。

 

 

メルマガ読者さんが毎日増えています。好評なので良ければ。

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。