「認められたい」は、「認められない恐怖」を生む


今日は東京にて、4冊目の本の打ち合わせをしていました。

編集長さんと営業部長さんの3人で話し合っていたのですが、

大いに盛り上がり、これまた良い本になりそうな予感。

この本の発売はもう少し先になりますが、お楽しみに。

じゃ、本題へ。

認められたいという気持ちが強いときって、結構日々が苦しいです。

好かれたい気持ちが強いときも、苦しい。

なぜか。

認められないことも、好かれないことも、普通にあるから。

そんなのは日常茶飯事であって、当たり前のこと。

だけど、それが許せなかったり、必要以上に苦しくなったりしてしまう。

私なんて、あれですよ。

本とか書くじゃないですか。そうすると、色んな人の目に触れますよね。

ブログとかもそうですけれど。

私、大学中退していますし、就職もしていないので、まあ、認められない人にはとことん認められないんですよね。笑

世の中には常識ってものがあるわけで、私はそういうのあんまり守って来なかった人なので、

好かれないことも多々あるわけです。

「俺は作家になる!さらに、コーチングしたり、カウンセリングすることで人の心と向き合う仕事をする!」

と、自分で自分の道を決めたときから、私は大学を辞め、自分の道を自分で突き進んできたわけですが、

それはつまり、常識とは違う道を行くことでもありました。

普通の人とは違う道を歩むことになったんです。

そんな私が「認められたい!」とか強く思っていると、どうなると思いますか?

日々苦しむわけです。

だって、全員に認められることも、好かれることも、不可能だから。

認められたいんだったら、私はエリート街道を歩んでいたと思います。

でも、それは自分にとっては、自分を殺す道だった。

だから、そっちは選ばなかった。

他人の評価は、自分にはコントロールできません。

私はただ私であることしかできない。

認められたいっていう気持ちは、認められない恐怖や、認められない苦しみを生み、

自分を好きでない人に好かれようとする、不毛で無駄で、成就するはずのない努力を生む。

結果、毎日が苦しくなる。

そのことに気づいたとき、私は人に認められる道ではなく、ただ自分の心が求める道を進もうと思いました。

自分が楽しみながら、情熱を注ぎながら生きていける道。

すると、不思議なほど道が開けて。

素晴らしい人たちに出会い、チャンスをもらい、どんどん人生が開けていきました。

もちろん、認められたい気持ちが全くないなんて言いません。

ただ、その気持ちが生む苦しみに気がついているというだけ。

大事なことは、

自分が楽しいかどうか。日々を楽しんでいるかどうか。

自分を好きでない人に嫌われるかどうかより、自分が好きな人がどうしているかの方が気になる。

のです。

そんな感じで生きられるようになってから、かなり人生は楽しく、満たされたものになっていったので、

認められるかどうかより、自分が楽しいかどうか、自分が好きな人が今日、元気かどうかを考えることをオススメします。