最近は、物語の記事を書いていますが、最初書くことに抵抗があったんですね。
なぜかって、そんなの書いたことないから。いや、ないことはないのですが、ここまで気持ちを入れて継続して書いてみたことはなくて。
さらに、「そんなの急に書き始めて変だと思われないかな」「面白くないと言われるのではないか」「情報発信としてどうなの」などなど考えていたんです。要は、周りからどう思われるかということを自分のフィルターを通して考えていた。
結局私たちは自分のフィルターを通してしか物事を考えることはできないので、本当の意味で相手の立場に立つことはできなくて、この世界は自分自身の想念の投影。
ということは結局、自分自身が、自分が物語を書くことに対して「変だ」「面白くない」と自分に言っていたということなんですね。
つまり、全ては自分の問題なわけです。
他人の目だって、自分が勝手に作り上げたもので、本当に他人がそう思っているかどうかなど分かりません。
分からないけれど、自分で勝手に決めつけて、自分で自分を苦しめているわけです。
例えばよくありがちなのが、相手は別に自分のことを嫌いじゃなくて、むしろ好きなのに、勝手に「ああ、嫌われた」と悲しんで、好きであることをやめようとするケース。
これは、勝手に自分を責めて、勝手に自分から諦めて、勝手に関係をやめる、というケースです。
話を物語に戻しますが、当初、「面白くないんだよ!」的なことを言われるかと思っていたのですが、それなりに書いてきた今でも、一度たりともそういうことを言われたことがありません。一度も、です。
むしろ、その真逆の反応をたくさんいただくことができて、ブログ読者さんは本当に優しいなと思うばかり。
実は、書き始める前に、「ブログ読者さんは温かく見守ってくれるはずだ」ということを信じることにしたんですよね。
書き手としては、読者さんの姿が見えないわけです。でも、本来このブログを読んでくれる人は好きで読んでくれているはずで、ということは読者さんは「味方」なはずなんですよね。
なのに、どこかで「ブログ読者さんは自分を責める」ということにして、好きなことを書くことを制限してしまう。
でも、その「ブログ読者さんは自分を責める」というのは自分が勝手に創り出した想念であって、事実はそんなことはない。
もちろん中にはそういう人もいるかもしれません。でも、それは一部であって全部ではない。どこを見るか、の問題でもあるわけですよね。
こんな感じで色んなことを思いながら、物語を書き始めました。これは一つ自分の中での挑戦でもあったし、このことを通じて自分自身が成長できたな、と感じています。
また一つ、自分に許可を出すことができたんですよ。自分は自分の好きなことを好きなようにやってもいいんだ、と。
例えば、ブログの発信とかも、今は「これが正しいブログ発信術!」みたいなものがいくらでもあります。ある意味、ブームなのかもしれません。
ただその中で『物語を書く』というのは、「正しい発信術」ではないわけです。いや、読者さんに楽しんでほしいという気持ちがあることから、それも広義の意味で「正しい」のかもしれませんが、正攻法ではない。
それが分かってしまっているがゆえに、余計な心理的抵抗もあるわけです。
そこで物語を書くということは、「全て分かった上で、セオリーを選ばず、抵抗を感じながらも自分の心に従う」ということになる。
それができた、ということが自分の中では大きいんですよね。
多くのことにおいて、すでに「正解」と呼ばれるものが存在することが多いものです。
で、その正解は、頭の良い人が研究を重ねて出した答えなので、大抵、成果も出るし正しいんですよね。確実なんです。それをやらない人はバカに見える。
だから、みんなそれを頼ります。それはもちろん悪いことではなく、そういうものはしっかりと学んで知っておくべきだ、と私も強く思います。
ただ、それを分かった上で、深く理解した上で尚、バカなこともできる自分でいたい。自分がやりたいと思ったことをやれる自分でいたい。既存の正解だけに縛られない自分でいたい。そう思うところがある。じゃないと新しいものも生まれて来ないんじゃないか、と。
世界と日本の企業についても、そう言われることがありますよね。日本からは革新的なものが生まれない。全て二番煎じというか、新しい発想がないというか。もちろん、そこには日本の良さもあるわけで、一概に何が良くて何が悪いということではないでしょう。
ただ、大事なことは、勝手に自分を責めて、勝手に諦めて、勝手にやめる、ことをしないこと。
多くの人が、勝手に諦めていることが多いと思うんです。誰も責めていないのに自分で自分を責めて、無理だと言って、やめてしまう。けど、心の中には不満が残っている。
勝手に周囲の声を作り上げ、勝手に作り上げた周囲の声に自分が苦しめられる。
そういうのを、一度やめてみてもいいんじゃないでしょうか。
そのためには、もう少し世界は優しいと思うこと。
そのためには、もう少し自分に優しくして、自分に許可を出すことが大事なことです。
自分に許可を出している人は世界から許可を与えられるもので、というかそれは、同じことなんですよね。
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