他人が嫌いなものを好きと言えるか?自分の好き嫌いがあやふやになる理由

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好きなことがわからない人は、好きなことがわからないのではなくて、

好きなものを好きだと認める勇気がないだけなのではないか。

そんなことを、ふと思った。

例えば、「私、あれ嫌い」と、友達が発言したとしよう。それも、一人だけではなく、何人かが言ったとしようか。

しかし、あなたは「あれ」が好きだとする。

そのとき、「あれ」を好きだと言えるか?

それが、結構、人生を分ける分岐点でもあるような気がする。

多くの人はそこで「好き」だと言えない。周囲が嫌いなものを好きだということで仲間外れにされたり、変人扱いを受けることに耐えられないからだ。

結果、「嫌いであるということにする」。

でも、家に帰ってからコソコソと「あれ」を楽しんでいたりする。

でも、それもだんだん恥ずかしくなってきて、そんなことをしてはいけないと思って、やめる。好きではないということにする。

好きになっていいのは、周囲に褒められ、認められることだけになる。

一気に、幅は狭まる。

好きになっていいものと、好きになってはいけないものという分類が、心の中に生まれ始める。

その分類が生まれたあたりから、自分は何がしたいのかよくわからなくなってくる。

周囲の好き嫌いなど、周囲に誰がいるかによって変わるし、時代の風向きなんていうのも、コロコロ変わる。

そのコロコロ変わる外の世界に自分の内側の世界を合わせていくのは至難の技であり、実際それは「自分を失う」ことに他ならない。

大事なことは、周囲が嫌いだとか変だとか言っていたとしても、自分の「好き」だけは死守することだ。

それはある意味、嫌われる覚悟をする、ということかもしれない。

たとえ嫌われてでも、変だと言われても、それでも自分の好きを死守できたとき、本当の充実感を感じられる日々を生きられる。

周囲の目を気にし、周囲の「好き」を気にするだけでは、自分の力を発揮し切ることはできない。

イライラモヤモヤするのは、周囲の好きを優先して、自分の好きを追求できなかった結果だ。

周囲に評価されることを優先して、自分の好きを封印してしまった結果だ。

たとえ周囲に認められなかったとしても、自分の好きをちゃんと好きだと認め、追求してあげることで、道は拓けていく。

 

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