最近は、「何もしないことが幸せ」という流れみたいなものがあるように思う。
このことについて、あなたはどう感じるかな?
何もしないでいいときのあのゆっくりした感じ、ゆるむ感じっていいよね。
でも、個人的な経験だと、それだけではちょっと足りないというか、退屈だなあと感じることが多い。
あなたはどうだろう?
もちろん、今まで自分がしたくないことをしてきて、それをやめたいと心から願ってきた人が「何もしない」ことを願望にするのは当然で、それが悪いわけじゃない。
仕事大変だったらマジ疲れるしね。
ただ、そろそろみんなの意識も次に向かっているのではないかと思っていて、
実際、人は何もしない生活は1週間も耐えられない。
これはやってみれば分かる。
2日でギリか。笑
例えば、大学がつまらないからといって大学に行かなくなった大学生がいるとしよう。
もしも大学に行かない時間に何もすることがないのなら、その毎日はかなりつまらないものになるはずなんだよね。
時間はたくさんあるし、何でもできるはずだし、プレッシャーも何もない。
でも、幸福感を感じることは難しいはず。
なぜなら、
そこには成長もなければ人とのつながり(愛)もないから。
「愛」と「成長」の要素がないと、人生はつまらなくなる。
成長は冒険とか体験と言い換えてもいい。
実際、何もしないことを心から願っている人は、愛の関係を持っていることがほとんど。
結婚していたり、パートナーがいたり、いなくても誰かを愛していたり。
ここも現実をしっかり見ることが必要で、その人が発信していないこと、実は幸せの要因になっていることに気づいていないところに本質はあるもの。
「愛」があるからこそ何もしなくても幸せを感じることができている。
もしも、やりたいこともない(成長がない)、愛を感じてもいない人が何もしないことを望んだなら、
実際に何もしない生活を手にいれたところで充実はしないことが多い。
私は何もしていませんアピールをわざわざSNSでしなければ、周りに自分の「良い生活」を認めてもらわなければやってられない状態になるかもしれない。
ただ、愛の関係について言えば、パートナーがたとえいなかったとしても自分が愛を感じている状態で在れるだけで十分。
自分が誰かを愛しているということが重要で、
愛されることを必要以上に求めている状態それ自体が不幸な状態だ。
実際、ある慶應義塾大学の教授が科学的な研究によって、
人と接しない仙人的な生活をしている人でも、その人が利他的な心を持っているというだけで幸福度が高いことが分かっている。
逆に、人付き合いがたくさんあったとしても利己的な心に支配されている場合、幸福度は低い。
一番ヤバいのは、人付き合いもほとんどなくて利己的な心(恐怖)に支配されている状態だ。
逆に、人付き合いもあって愛もあるのが一番良い状態。
イケジムでもいつも言っているように、大事なのは自分の心の状態。
外部的な状況、例えばパートナーがいるいないに関わらず、心が愛の状態に近づけばそれだけで人生は楽しくなる。
そういう人にパートナーができるのは時間の問題だろうしね。
ただ、パートナーがいても実際には愛を感じていなくて責め合っているなら、状態は悪いはずで、やっぱり外部的な状況じゃなくて内面の状態が本質。
結局何が言いたいのかというと、
何もしないことが大事だというよりも、愛や成長(あと、楽しさも)を感じるということが本質で、
愛や成長の喜びを感じることができれば、頑張るべきか頑張らないべきか、自分のためか他人のためかとか、そういったところにいちいち煩わされず、
ごちゃごちゃ考えずに、普通に楽しい毎日を送ることができるようになる。
仕事も自分の成長や楽しさや愛のためにやればいいし、
より多くの愛を供給するために成長すればいいわけだよね。
その心の状態で生きているというだけでも、本当に人生は最高だな、マジ生きてて良かった、と感じることができるようになる。
あ、イケジムは今月中に期間・人数限定で再募集します。
より深い内容は、メルマガにて書いてます。
本も出版しています。
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オンライン人生相談BAR「いけじゅんBAR」もやってます。
いけじゅんBAR第2回「なぜ、大きな目標はあるのに行動できないのか?」