置かれた場所で咲きなさい、ということが言われる。
一方で、環境を変えろ!ということも言われる。
さて、果たしてどっちが大事なのか?どっちが「真実」なのか?と二元論的な対立構造で思考してしまうことはよくある。
でも、実際には、個別具体的な状況次第だ。
例えば、超劣悪な環境の中で「ずっとそこにいなさい」というのはあまりにも酷で、その場合は環境を変えることが大事だ。
自分に合わない仕事を無理にやったところで成果も上がらないし、精神的にもきつくなる。
ただ、一方で、いつも問題を他人や環境のせいにして自分と向き合わず、どこに行っても同じ問題を起こす人もいる。
その場合は、環境を変えたところで何も変わらない。結局は同じことを繰り返し、同じ課題に苦しみ、上手くいかない現実をループし続けることになる。
けれど、そういう人ほど「環境を変えろ!」というメッセージを都合よく解釈し、自分と向き合わないままになる。
結局、その人が「どういうところで自分を愛せていないか?」の問題なのだ。
例えば、どこに行っても自分をいじめたり責めたりしてくる人がいる場合、自分が自分を責めているがゆえにそういう雰囲気を発していて、他人にそうさせていることが多い。
そういう場合、環境を変えたところでその人の雰囲気自体は変わっていないわけだから、どこに行っても同じことが起こる。
だから、そういう人は自分を責めずにもっと愛する、高く評価するということに取り組んでいけばいい。
別の例では、いつも全部自分が悪いんだと考え、自分を犠牲にすることを選択する人もいる。
そういう人にとっては、辞めること、休むこと、任せることの方が難しく感じる。
辞めることで迷惑をかけるくらいだったら自分を犠牲にする
ことをどうしても選択してしまうわけだ。
そういう人にとって大事なのは、もっと自分を優先すること。自分を犠牲することをやめることだ。
これも、自分を高く評価する、ということに他ならない。
結局、自分のことを高く評価できない、愛せないがゆえに多くの問題が起こっていて、
その人にとってどういう行動が自分をより高く評価することになるか、より自分を愛せるようになるか?が重要なのだ。
今挙げた後者の例で言えば、今の環境を離れることを許可することが、自分を愛することになるだろう。
そうやって個別具体的に考えることが大事で、無理に一般化しようとすることで自分が本来向き合うべきことと向き合えなくなることはよくある。
(しかし、人は一般化したがる。その方が楽だからだ。その方が楽だから、安易に一般化して分かりやすくしてくれる人を求める)
本来向き合うべきものと向き合えているかどうかは、その人の人生が上手くいっているかどうか、その人の状態がよくなっているかどうか、その人の人間関係が良好かどうかで判断できることが多い。
向き合うべきものと向き合えたということは、より自分を高く評価できた、より自分を愛することができたということであり、
そうなれば、同じ課題で悩むことはなくなっていく。
自分の課題や悩みが以前とは変わっている、以前と同じことでは悩まなくなっているという場合も、向き合うべきものと向き合えたと言えるだろう。
逆に、同じ問題が起こり続ける、同じことで悩み続けているという場合には、向き合わないために誰かのメッセージを都合よく解釈していることも多い。
置かれた場所で咲くか?
環境を変えるか?
それは、個別具体的な状況や状態次第だ。
その人にとって何が必要なのか?次第だ。
置かれた場所で咲くことの重要性を説く情報はあっていい。
環境を変える重要性を説く情報もあっていい。
どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか、そういう問題ではない。
「今の自分」にとって何が大切なのか?
大事なのは、そこだ。
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