<この物語はフィクションです>
年始でみんな暇なのだろうか、いつものカフェは混んでいた。特に予定があるわけでもなく、いつも通り原稿を書いている。
隣には、20代であろう若者たちが4人で座っている。
全員、悪い感じはしなかった。
話の内容から言って、サラリーマンだろうか。ただ、ちょくちょく独立がどうこう、やりたいことがどうこうという話題が聞こえてくる。
構わず、原稿を書いた。
書き続けていると、コーヒーがなくなっていることに気づいた。
店員を呼ぶ。
「同じものを」
あたりを見回すと、相変わらず混んでいたが、4人の若者はまだ話し込んでいた。
「いいね、それ。やろうやろう」
もう、会社の話ではないようだ。自分たちで何かを始める気なのか、生き生きとした顔をして話している。
「そうそう。みんな、分かってないんだよね」
「それヤバイ」
「絶対、今の社会に必要だよね」
若干、彼らに対する否定的な感情が生まれ始めている自分に気づいたとき、店員がコーヒーを持ってきた。
「ナイスタイミング」
「は?」
「おっと、悪い。こっちの話でね」
若者は夢を語るのが仕事のようなものなのだ。だから、あれでいいのだろう。
現実的な話をしたくなるのは、俺がもうオヤジだからなのだろうか。でも、まだそんな自分を見ている自分がいて良かったとは思う。
昔、俺にもああいう時期があったが、集まって話したことは何一つ実現しなかった。
何かをしようとしていると思ってもらいたかっただけなのかもしれない、と今になって思う。
人に話すときは誰もがやる気に満ち溢れている。
だが、本当のやる気は現実的に動き始めたときにこそ問われる。
結局、物になったのは自分が一人で決めて、一人で黙々とやり続けたことだけだった。
やり遂げられたことは、賛成してもらえることより、反対されることの方に多かったような気もする。
反対されてでもやるという自分の意思があったからなのか。
賛成されているのにやらないというのは、よくよく考えてみれば、あまりやる気がないということなのかもしれなかった。
「それ、めっちゃいいじゃん!」
若者の声が聞こえる。
アイデアが認められた方は、ご満悦だ。
「まだ何も始めちゃいないだろう。ご満悦はそのときまで取っときな」
そんな言葉を言いたくなっている自分の存在を強く感じ、自分自身に苦笑した。
コーヒーがまだ残っていたが、店を出ることにした。
自分の心境の変化が、彼らに対する見方を変えたのだろう。
彼らは彼らで、良いのだと思う。
若者が夢を語らなくなるのは悲しいことだ。
オヤジはオヤジなりの方法で、ときに説教くさくなりながら、疎まれながら、生きていく。
人生はいつ終わるか分からない。
だから、語るだけでなく、今この原稿を現実に満足のいく形に仕上げたい。
あるのはその思いだけだ。
店を出ると、少し離れたカフェに向かって歩き出した。
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