淡々と続けられない理由。自分をジャッジする自分を眺めること

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低い自己評価から何かをしようとする。

そうすると、常に自分に対してジャッジが入って、疲れる。

自分なんかがやっていいのかとか、

自分が作ったものなんかつまらん!とか、

あの人の方がすごいしなあとか、

自分がやる意味はないなあとか、

そういうことを「いちいち」思うようになる。

そして、そう思ったら考え込んでしまって、

手が止まる。足も止まる。

頭だけが動く。

その状態は「重さ」を伴い、心まで重くなってくるのは時間の問題だ。

そして、止まった自分をみて、

止まるってことはやっぱりやりたいことじゃないのかなあ?

才能、ないのかなあ?

と考え始め、何がやりたいかわからない、となる。

けれど、立ち止まってしまった経緯を振り返ってみれば、スタート地点は、低い自己評価。

それがあるから「余計な問い」が生まれた。

余計な問いが、自分の手や足を止め、頭だけを働かせる結果になった。

頭だけが働いているから、イラモヤが生まれる。

低い自己評価がなければ余計な問いは生まれず、川を流れるように動けた。

そこを忘れちゃいけない。

そこを忘れると、本来好きなことまで嫌いになってしまう可能性があるからだ。

原因は「低い自己評価」にあるのに、「やりたいことではないからだ」という結論にしようとする。

しかし、本当はやりたいことだからチラチラと頭に浮かぶ。

浮かぶが、ジャッジが入る。

自分なんて。どうせ。

結果、止まる。

止まる。浮かぶ。止まる。浮かぶ。その繰り返し。

人生が進まない。

これからは、

どうせ、ダメ。じゃなくて、

どうせ、大丈夫。にしよう。

実際、今の日本にいればどうせ大丈夫だ。

誰かから低く評価されようと、

思うように結果が出なかろうと、

淡々とやっていればいい。

勝手にすぐにあきらめて、すぐに軌道修正をしようとしてばかりだから、現実が動かない。

タクシーの運転手に、「あっちで!やっぱこっちで!いやはや、そっちで!」と言っているのと同じ状態だ。

それでは運転手はどこに行っていいのかわからず、どこにもたどり着かない。

いちいちジャッジしている自分自身の存在を眺め、なだめ、

淡々とやっていこう。

 

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