今日はイケジムメンバーと映画「世界から猫が消えたなら」を観てきた。
世界から猫が消えたら、世界はどう変わるんだろうか。
変わるのか、変わらないのか。変わるのだとしたら、どう変わるのか。
話は少し変わるけれど、「自分の「武器」を見つける技術」を書いたときに、武器って何なんだと深く考えた。
そのときわかったことは、「自分の当たり前の中にこそ、自分の武器は隠されている」けれど「当たり前だからこそ気付けないでいる」のだということ。
これは人生で大切なもの、についても同じことが言えるのだと思う。
大切なものは当たり前の中にある。けれど、当たり前すぎて気付けない。
自分はたくさんのものを持っている。けれど、持っているからこそ気付けない。
ないと思っていても実はある。けれど、あるからこそあると思えない。
もし⚪︎⚪︎が消えたなら?と仮定するということは、自分にとって⚪︎⚪︎はどういう存在なのかを知るということだ。
さらに、映画の中で主人公は「生存すること」と「生きること」は違うのだということを知り、
自分という存在は世界とつながっていたこと、世界に存在する一つ一つのものが人と人をつなげているのだということに気づいていく。
普段私たちが気付けないでいたり忘れていたりあるということを知覚できていないでいることを、もし世界から⚪︎⚪︎が消えたなら?という切り口から気付かさせてもらえた。
映画ツアーやってよかった。
それにしても、
消えてほしくないものや、消えてほしくない人が、消えてほしくなさすぎるんだがどうすれば。
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いけじゅんBAR第4回「どうすればネガティブ状態から抜け出せるか?」
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