優しさとは、想像力のことである。

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人の心の中というのはそう簡単に分かるようなものじゃない。

「人は見た目では判断できない」というが、それはその通り。

(ただ、もちろん見た目で判断できる部分もあり、人は見た目では判断できないしするべきではないから見た目はどうでもいい、という話にはならないとは思う)

感情を表に出すような人ばかりではないし、自分の弱い部分を見せることに強い抵抗を感じる人もいる。

大事にしたい感情はそう簡単には表現しないことをどこか美学のように感じている人もいるだろう。

人それぞれ、何を恐怖にしているかも違う。

大体、人の「うん??」と思うような行動は、その奥に何らかの恐怖がある。

なぜか人のネガティブな部分を見つけたがる人がいる。

そういう人自身いつも自分のネガティブな部分を見つけていて、自分には価値がないのではないかと恐れているもの。

自分に力を感じることができないほどに恐怖は強くなり、それは言動に影響を与える。

それがダメだとか、そういうところを直せとか、そういうことを言いたいのではなくて、

そんな人の中の恐怖、奥にあるものを「想像しようとする」ことが生きていく上で大事なことなのだろうなと思う。

これは、具体的に想像しろ、ということではない。

あくまでも「想像しようとする」こと。

「想像しようとする姿勢」のこと。

 

というのも、人の過去というものはそのまま経験することはできず、

知れたとしても断片のみ。

そのときその人がどう感じたのか、今どう感じているのか。

そういったことについて、他人は知ることはできない。

だから、分かった気にはなれるけれど、やはり分からない部分というのは常にあるもの。

ただ、想像しようとすること、想像の余地があるのだという姿勢で存在することはできる。

その姿勢があればこそ、人は人に対して優しくなれたり、責めたりせずに居られる。

人を裁くことは簡単なことだ。

目の前のその人を見て、自分の価値観に合わないことをしたら、

「あいつはダメだ」と言っていればいい。

それほど簡単なことはない。

でも、そこで少しでも相手の奥にあるものを想像してみようとすれば、

そこに「許し」が起きたり、

そもそも許すということそれ自体に上から目線が存在することも分かるようになってくる。

そう考えれば、

想像力こそが優しさなのかもしれない。

優しさとは、想像力のこと。

いや、

優しさとは、想像しようとする姿勢そのもののことだ。

そして、その優しさは自分を救うことになる。

人を責めているよりも、人を許す方が心地良い。

その視点を持つということそれ自体が、他ならぬ自分のためになるのだろう。

 

大事なことは、

相手に想像力を持つことを期待するのではなく、

自分自身が、想像力を持つこと。

なのだと思う。

 

明日はイケジム東京セミナー。

いってきます。

 

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