自分のゴールに向かって淡々と進むこと。

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楽しく、やる気で、自信のある状態で自分の取り組みを続けること。

 

それがもし安定的にできたなら、すごく良いと思うんですよね。

 

ただ、安定的に楽しくやる気を維持するのは意外に難しかったりする。

 

なぜかというと、そこに「他者の目」「他者との比較」が絡んでくるから。

 

例えば、理想というものが自分の中にあるとします。

 

理想があるということは現状もあるわけで、現状は理想からは遠いところにある。

 

このとき、他人の目を気にしないなら、人はその現状や、

現状から理想に向かうプロセスを楽しむことができるもの。

 

逆に、そこで他者の目を気にしてしまうと、その現状と理想のギャップが苦しいものになってしまう。

 

例えば、学校のテストを考えると、テストの点数って友達と見せあったり、先生や親に見せますよね。

 

その時点で他者の目が絡んでくるわけですが、例えば、

 

50点から60点に点数が伸びたとしても、周りには90点を取っている子がいる。

 

そうなったとき、自分の10点の伸びを心から喜べるかどうか。

 

実際、周りの目がなければ喜べると思うんですよね。

 

「やったことがちゃんと成果に出たな、自分でもやれば点数を上げられるんだな」と。

 

そう思えて勉強がさらにしたくなるということだってあり得る。

 

ですが、現実には隣で友達が「俺は80点だぜ〜( ̄▽ ̄)まじミスった!」とか言ってるわけですよね。

 

その状況下、環境下で、自分の成長を喜べるかというと、どうでしょう。

 

他者の目、他者との比較というものがなければ、

人は純粋に自分の成長に意識を向けることができて、自分の成長を喜ぶことができる。

 

そうなると、その取り組みは楽しいはずなんです。

 

ただ、そこに他者の基準が入ってきたり、すでに結果を出している人との比較が入ってくることで、

 

「自分なんて」「自分の成長なんて」という風に思うようになっていく。

 

結果、理想と現状のギャップが苦しいものになる。

 

そのギャップを埋めていくことを楽しむという意識ではなく、

 

そのギャップ分自分を責める否定する、ということになっていく。

 

ただ、人生で大事なのは、自分のゴール。

 

他者とは関係ない自分だけのゴール。

 

その自分のゴールに向かって進んでいくのが楽しいのであって、

 

忘れかけたらそこに戻ってくることが大事だと思います。

 

他者は関係ないのだと。

 

自分なんてと思ったとき、自分はダメだと思ったとき。

 

なぜ、そう思ったのか?

 

どこかで誰かと比較したり、比べる意識を誰かからもらってきたのでは?

 

と考えてみる。

 

あくまでも自分のゴールを見据え、自分はそこに向かって淡々と自分がやるべきことをやるだけ。

 

自分のペースで、自分の基準で、進んでいけばいい。

 

そうやって他者の目、他者の基準から解放されていけば、

 

もっともっと日々楽しんで取り組みたいことに取り組むことができるはずです。

 

 

 

 

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