生きる上で無駄なものこそ、生きる上で欠かせないんじゃないか

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人は一人では生きていけないけれど、人と人の距離は昔に比べて離れていくばかり。

でも、それでも人は一人では生きていけないから、音楽を聴いたり、小説を読んだり、アニメを観たり、誰かのブログを読んだりするんじゃないかなと思います。

音楽を聴いて共感すれば、同じような思いを持った人がいることに安心して、それだけで明日からまた頑張ろうかと思ったりしますよね。

小説読んで共感すれば、自分は一人ではないのだと思える。

誰かが自分の思いを表現することって、どういうことなんだろう?ということを考えていました。結構長い間。

表現することで自分自身が救われるということもあるけれど、自分が自分の思いを表現することで、誰かの胸に響くものができあがったりする。

そして、その表現されたものを通じて、心と心がつながっていき、実際にリアルの場でつながることもある。

今だったら、ネットで発信したことがきっかけでリアルで会うことになることなど普通にある。

表現されたもの、コンテンツと言われるものは、「生存する」上では無駄なものかもしれません。

でも、人というのは、「魂の糧」みたいなものがないと生きていけないんじゃないかと思うんですよね。

食い物だけあったら生きていけるのか。生物的には生きていけるだろうけれど、人間的には生きていけない気がします。

豊かだからそう思うんだと言うかもしれないけれど、豊かでない時代にも音楽はあったし、物語もあったし、映画だって、野球だってあった。生存するためには無駄なものというのが昔からあった。

そして、昔からそういう「無駄なもの」は愛され続けてきた。

ある小説があって、それを青春時代に読んでいて。もしその小説がなくなったら、心の中にポッカリと穴が空いたような、そんな感覚になるもの。あの音楽を聴くだけで、思い出されるもの。

そういうものが誰にでもあって、それは人生の大きな喜びの一つで、それがなかったら何だか味気ないというか。無駄だけど無駄じゃない。無駄だけど欠かせない。

それが「コンテンツ」というものなんじゃないかなと思うんですよね。

小説も音楽も、生きる上では無駄なものに過ぎないけれど、でも、それでも、同時に、生きる上で欠かせないものでもあるんじゃないか。

例えば、このブログを書くにしても、なんのために書いているのだろうかなと考えてしまっていた時期があります。

でも、そのときに決まって思い浮かぶのが、これまで出会ってきた人たちの顔です。

ブログを書いていなければ出会っていなかった人たち。ブログを書くことで、自分を表現することでつながりを持つことができた人たち。

自分を表現することで出会い、つながった人たちのことを考えれば、ブログを書かない理由などなくなります。

今日も誰かがこのブログを読んで、少しの元気を得て、明日もがんばっていこうと思えたなら、それはすごく嬉しいこと。

もちろん、自分が楽しんで書いているんですけどね。好きで楽しくて書いている。それが大前提としてある。

でもやっぱり、人とつながれたら嬉しいし、人のためになれたなら嬉しいじゃないですか。別になれなくてもいいけれど、なれたなら嬉しい。そういう感覚。

コンテンツを通じて人と人の心がつながって、リアルにも会うことができたなら、それはすごく嬉しいし、楽しいこと。

誰かのコンテンツに誰かが励まされ、自分でいいんだと思い、人生をほんの少し軽い気持ちで生きられるようになる。あの人だって生きているのだから、俺も楽しんで生きようと思う。

心のどこかで「あの人がいるから」と思える。私にも、その人の存在自体に励まされているような人がいます。

コンテンツというのは、そうやって誰かを励まし、勇気づけ、人生を変える力を持っている。そして、今はコンテンツを通じて人と人が出会う時代でもある。

だから、これからもどんどんコンテンツを作っていきたいし、より良いものを表現していければいいなと思うんですよね。

という、「コンテンツ」についての話でした。

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