良くなろうと模索するのは、心の奥底の自分が「良くなれるはずだ」と信じているから

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中学生のとき、家にお金がないことから塾に行くことができませんでした。

根が負けず嫌いな自分は、友達に負けたくなかったことから、自分で真剣に勉強を重ねていました。

でも、数学だけはどうしようもなくて、現代文も苦手で、とにかく「思考を使う勉強」ができず、ずっと自分は頭が悪いと自分のことを責めていた。

理科と社会だけは気合いと根性でなんとかなるからと、いつもそこだけは頑張っていて。でも、そんな泥臭いことをやらなければ成績が上がらない自分のこともどこか嫌いでした。

さらに、塾に行っている子が「このプリントさえやれば成績が上がる」と隣で話しているのを聞いて、自分はお金がないから塾に行けず、その環境のせいでそのプリントを手に入れることができなくて、成績に差が生まれるのかと絶望したことを覚えています。

些細なことかもしれないけれど、当時の自分にとっては些細なことではなく、

ただ、そのときに、その環境、その状況の中でも、あきらめずに自分が望んだことを実現できるようにと日々勉強を続けていました。

自分のように頭が良くなくても、環境が悪くても、それでも良い成績を取ることができるのだと証明したかったのだと思います。自分の運命を、生まれにだけ左右されるのはごめんだ、と思っていた。

小学校のとき、いじめに遭い、そこから特に対人関係において自信を失いました。人から嫌われることが怖くなったし、自分から人を誘うこともできなくなった。

自分から人を誘うなんて、申し訳なくてできない。自分のような人間が誘ったりすれば、迷惑だろう。断るということに労力を使わせることさえ申し訳ないと思う。

もし予定が入っていたなどとしたら、さあ大変。悩ませるなんてことはしたくない。自分なんかのために時間を使わせたくない。だから、そもそも自分から誘うということはやめるようになる。誘われたら行くけど(嫌いな人でも)、自分から誘うことはしない(好きな人でも)。

そういうメンタリティでずっと生きていたから、心の損耗も激しく、いちいち自分を責める。いじめということさえなければ、と思ったこともあります。

その頃から、どうすれば人は自分に自信を持って、自分の力を発揮して生きることができるのか?を問うようになります。

今思うのは、そうやって思えるのって、心のどこかで自分のことを信じているというか、できると思っているし、なんとかなると思っているからなんですよね。

このブログを今読んでくれているあなたがどういう気持ちか分かるわけではないけれど、多分、よくなりたいという気持ちを持っているから読んでくれているはずで、

ということは、良くなれるはずだという思いを持っているということ。じゃないと、学ぼうとか、このブログを読もうとか思わないから。

自分も、自信がない状態とか、自分を責めるとか、否定するとか、卑屈になるとかそういう状態だったわけですけど、

なんとかしようと思って自分と向き合い、なんとかしてきました。なんとかなるということが体感的にわかりました。

自分を良くするということが自分にとって切実な問いとなり、自分のことが解決できてからは、どういう「対応」をすれば、人が良くなっていくのか、ということも考えるようになりました。「教育」ということとも密接に関わる問いが生まれるわけです。

そういうことを考えるのも、自信を失った状態で生きていくつらさや、自分の力を発揮しきれない苦しさをよく理解できるから。自分自身がそうだったから。

一番悔しいと感じるのは、自分のようにお金があまりない環境に生まれたり、何かしら否定的な経験をして、それをずっと引きずって、今もまだ自分が望むような自分になれていないと感じて、そこで苦しんでいる人がいること。自分自身、それが悔しかったから。

結局、自分の活動は「人はどうすれば力を発揮できるのか」「どうすれば自分に自信を持てるのか」「環境に関わらず、自分の理想とする未来を実現することができるのか」を伝えることにあるのだろうと思います。

私自身、それらを一つ一つ乗り越えることで、その「素晴らしさ」を体感しているから。

人は、自分が素晴らしいと思ったものを伝えたいという気持ちがあり、それが自分の活動の根幹部分になっていくもの。苦しんだ分、その素晴らしさがよく分かる自分になっているんですよね。

自分の武器を見つける技術にもその思いは込めていて、人には必ず自分の武器があるし、自分の武器を活かせる場所がある。

卑屈にならなくていいし、自分に誇りを持っていい。

そんなことを伝えていければ良いと思っているし、人はどうすれば力を発揮できるのか、ということをこれからも追求していきたい。

その一つの思いを表現する活動として今はイケジュンジムを運営している。

『自分の「武器」を見つける技術』を書くときもそう。

どうすれば、本を読んでくれた人が少しでも自分に自信を持って、自分の武器を見つけて、自分の武器を活かして生きることができるのか。

実は、書く時間よりも、そのことを問う時間の方が圧倒的に長かった。書く内容が決まれば、あとは早い。けれど、何をどう書くか。そこに一番時間がかかりました。

でも、その分、思いのこもった作品になっていますし、今後ずっと色んな人に届け続けたいと思っています。

Amazonでは売り切れ状態が続いていたのですが、今は入荷されてます。まだ、Amazonレビューが入っていない状態なので、良かったら誰か書いてくれると嬉しいです。感想が気になるので。

:自分の武器を見つける技術

ということで、何の目的もなく書き続けてきました。

要は、今何かが上手くいかない、自信がない、という人も、まず自分は自分のことを諦めていないことに気づいて欲しい。あきらめてないから、良くなろうとこのブログを読んでいるのだ、と。

そして、その諦めていない自分のために、やりたいと思っていることや、達成したいと思っていること、なりたい自分になることを、自分には価値があると信じることを、やめないで欲しいなと思います。

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