大阪府は堺市で生まれた。
大阪は、全国でもかなり学力が低い。下から三番とか、そんなもの。
学力調査の結果を見ればわかる。
さらに自分が暮らした地域は大阪の中でも成績が低い地域。
つまり、全国でワーストクラスのバカな地域。
家は、団地。
家が狭すぎて、友達を満足に呼ぶこともできなかった。
そんなにしつけができているわけではない犬もいたし、友達と遊ぶとき、自分の家で遊ぶという選択肢がなかった。
いつも、申し訳ないな、と思っていた。
だから、犬を別の部屋に無理やり閉じ込めて、「来ても大丈夫だよ」と言って、犬が部屋から飛び出して来ないかビクビクしながら遊んでいた。
友達に「家狭いね」と言われないかなと怯えてもいた。
友達の一軒家に行ったときは、こんなに家って広いものなんだなといつも思っていた。
中学の頃からエリートだったわけではないし、高校のときも自分より頭の良い人、恵まれている人はたくさんいた。
つまり、完全に雑草だった。そのへんに生えている、ごく普通の草だった。
京大法学部を目指したのも、どこかで才能や環境といった、最初から決められているものに対する反発があった気がする。
自分が心から望むものがあったとする。
でも、自分ではどうしようもない理不尽なものがそれを邪魔してきたとして、
そういうものがどうしても許せなかった。
小学校の頃は遊び呆け、中学受験などしたこともないし、中学時代は中途半端な不良たちにまみれて生きていて、
高校では塾にも行っていない。
遊んだり、部活に精を出していた。
それでも、そんな普通の奴でも合格できるし、むしろそっちの方が人生楽しいぜ、ということを示したかったのかもしれない。
京大に入っても、俗に言う「エリート」たちの中にはどうしても馴染めなかった。
そういう風になりたい、とは思えなかった。
そこに自分なりの格好良さみたいなものを、感じることができなかったのだと思う。
むしろ、社会からちょっぴりはみ出したような人に魅力を感じた。
自分の力で道を切り拓いている人が、カッコイイと思った。
それは結局、反発のエネルギーなのかもしれないけれど、それはそれで良いと思っている。
心の勉強をしていて別に魅力的でもない人が、「あ、それは心理学的にはですね…」とか色々言ってきそうなところだけど、
いらないから!知ってるから!
そういうのじゃ、ないんだよ。
こっちは生き様の話をしてんだよ。
大事なのは、自分の心の奥底にある本物の思いに出会うこと。
そして、「これがカッコイイんだ」と自分が心から思うものに、自分自身がなること。
そう「在る」ことを、自分に許可すること。
個人的なことで言えば、
エリートから外れれば、面倒なことも多い。
誰もが認めてくれるわけじゃないし、何をやってんの?と言われることもある。
いいじゃないか、それで。
その人たちと同じ生き方がしたいのか?
そうじゃないから、今の道を選んだんだろう?
だったら、認められてどうする。
認められないというそのことが、うまくいっている証拠じゃないか。
必死になって、「認めてくだちゃい!」なんて言わなくていい。
自分が目の前のことと向き合い、好きなことをしていたら、
勝手に、いつの間にか認められるようになってるから。
少なくとも自分は、そうだったから。
好きなように生きてやれ。
ということで、5冊目の原稿と真剣に向き合うのでこのくらいで。
では。
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