人生で大事なのは、自分が創りたい現実を創ること。
例えば、好きな子と付き合いたいと思った。
なら、付き合える男になればいい。
ただ、それだけのこと。
そうなれば当然、カッコよくなることだって大切だと思うかもしれない。
なら、素直にそうなればいいし、そう在ればいい。
で、そのために必要なことをする。
すごくシンプル。
でも、それが複雑になってしまうことがある。
願望実現か自己正当化か
例えば、好きな子に振られたとする。
誰か違う男がその子と付き合ったとする。
そういうことが起こると、少し複雑になってしまうことがある。
そのときに、
「あいつは女好き。ああいう奴はダメだ。俺はああはならない」
と言いたくなるかもしれない。
誰だって今の自分を否定したくはない。
負けた、と思いたくはない。
その思いが、今の自分を正当化させる方向に向かうことがある。
悔しい!という気持ちが強ければ強いほど、負けたという思い、比較の気持ちが強ければ強いほど、
そしてそこに「自分にはできない」という思いがプラスされると、
自分を正当化させようとする気持ちが強くなる。
プライドが高いけれど、どこか自信のない人ほど、正当化したい気持ちも強い。
正当化の何が良くないかというと、
願望の実現につながらないことだ。
最初に書いたが、大事なのは自分の願望を実現すること。
人生は、「願望実現」に向かうのか、「自己正当化」に向かうのかで180度変わってくる。
そもそもの願望は、付き合える男になることだった。
それが、他人の行動、他人との比較、他人との優劣によって変化し、
最終的に自分の願望を否定してしまっている。
他人は自分の願望を明確化してくれる
例えば、本を書きたいと思った。
誰か他に書いて売れている人がいた。
くそ。悔しい。
負けたように感じる。
こんな気持ちを感じたくはない。
けど、書く勇気は出ない。
書く勇気は出ないけど、負けたという気持ちは消したい。
書かないままで負けたという気持ちを消すために、どうすればいい?
そうだ、書くことはおかしいのだと思えばいい。
そうすれば、書いていない自分が負けたことにはならない。
書いていない自分が正しくて、書いているあの人を間違っていることにすればいい。
そうだよ、あいつがおかしいんだよ。
あんなレベルで文章を書くことなんて意味がない。
俺は、書かない。
今はまだ書かない俺の方が優れている。
これが明らかにおかしいことは分かると思う。
願望実現に全く向かっていないし、むしろ自分の願望を否定している。
そうなれば、当然毎日モヤモヤするだろう。
そうではなく、
ああやって書けばいいんだ!
ああいう本が売れるんだ!
よし、自分も書いてみよう!
以上。
こっちであれば素直に純粋に「願望」に向かっている。
他人が、自分の願望の明確化のための存在になっている。
勝った負けたではなく、自分の道を照らす存在になっている。
そうやって他人を見ることができたとき、素直に純粋に進むことができる。
何度も書くけれど、人生で大事なのは自分が望む現実を生きることだ。
願望がまだ実現されていない自分のままで「優位性」を保つためには、相手が間違っていて自分が正しいことにしなければならない。
(本来、ここで優位性を感じたくなる必要はない)
そうなれば結局は「上手くいくことは間違っている」というところに行き着くことになる。
(この精神構造に、様々な問題の本質があると思っている)
その結論に至った状態では、どう頑張っても動き出すことはできない。
弱さを受け入れ、もう一度、願望に向かう
その状態に陥った人にとって大事なことは、
余計なプライドを捨て、弱さを受け入れること。
そして、自分の願望に向かう勇気を持つことだ。
自分の願望を思い出し、
たとえ自分よりも上手な人がいても、上手くいっている人がいたとしても、
自分はドジで下手くそでノロマだったとしても、
自己正当化に走るのではなく、どうすれば自分も自分の願望を実現できるか?を考えること。
何か方法はないものか?と模索すること。
それは自分をよく知り、自分の武器を知り、それを活かしていくことを考えるということでもある。
大事なのは、自分が自分が望む人生を生きること。
それだけ。
余計なプライドに邪魔をされて、自分が体験したいことを体験しないままにならないようにしよう。
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