会っていないときの存在感というのがあると思っていて、
会っていないとき、そこにいないとき、その人がどういう存在として頭や心の中にいるか。
例えば、
あの人だったら励ましてくれるだろう
あの人だったら「やっていいよ」と言ってくれるだろう
あの人は温かく見守ってくれているだろう
っていうのとか。
逆のケースで言うと、その人と会っているときはいい感じだったとしても、
陰では色々と言われているんじゃないか
ジャッジされてるんじゃないか
期待に応えられていないから責められているんじゃないか
ダメな奴だと罵られているんじゃないか
などと思ってしまうこともあるかもしれない。
そして、その思いは自分に微妙なプレッシャーや恐怖を与え続け、
ボディブローのように効いてくる。
もちろんそれはこちらの勝手な妄想であることも多いし、そう考えた方がいいのだけど、
「そう感じさせる何かを発している」ということはあるのかもしれない。
それらは全てその人の「存在感」や「あり方」そのもので、
むしろそちらの方がその人をよく表しているように思う。
会っているときの言葉や表情はごまかせても、存在として溢れ出ている雰囲気はごまかせず、
人はそちらの方を感じているもの。
人と人はいつも一緒にいられるわけではないし、結局は自分自身の力で動くしかない。
ということは、
「頭や心の中でどういう存在として存在しているか」の方が重要なのではないか。
もし、その人の中にいる自分が誰かを励まし勇気づけたなら、それは
存在レベルで、存在しているだけで人に力を与えることになるのかもな、と思う。
より深い内容はメルマガに書いています。こちらからどうぞ。
オンライン人生相談BAR「いけじゅんBAR」もやってます。
いけじゅんBAR第2回「なぜ、大きな目標はあるのに行動できないのか?」
4冊目となる著書はこちら。