「自分のためクオリティ」の違いが、人生の違い。

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自分がブログを書き始めた頃というのは、今ほどブログを書いている人も多くなかったし、情報発信という言葉もメジャーじゃなかった。

当時自分が文章を書いていた動機は、もちろん書くことが楽しかったというのもあったけど、勉強法を伝えたい、というのが根本だったんだよね。

 

伝えたいことがあって、その伝えたいことを伝えるためにブログを利用させてもらっていた。

本当に伝えたいことを伝えるために書いていたんだ。

 

ただ、今ってなんとなく、自分の人生を上手くいかせるためのブログとか、自分が成功するための情報発信とかそういうのが多い。

もちろん別に誰かのためでなく自分のために書いていいのだけど、その「自分のために」には質があって、

質の低い「自分のために」と質の高い「自分のために」は違うんだけど、そこが混同されていて、混合している人がうまくいかない、という感じか。

 

仕事は結局は「誰かに何かを提供すること」で、

「自分が楽しんでいい」というメッセージを発信している人、生き様で見せている人も、自分が楽しんでいいという許可を人に「与えている」。

 

ややこしいけど結局は「与えている」から返ってきているわけだよね。

 

前回も出した堀北真希さんの例だと、実は仕事で疲れていて家庭に入りたいと願っていた女性に許可を出すことになったはずなんだ。

 

「あ、いいんだ」

 

みたいな。

それって堀北さんは完全に自分のために決断や選択をしているわけだけど、勝手に周囲の人に許可を与えることになっている。

 

与えるつもりじゃなくても、自分が好きに生きているだけで人に「いいんだ」を与えることになっている。

 

そういうことってある。

 

でも、そういうことと、自分が認められたいだけの発信をすることは、「自分のため」という言葉上は同じであったとしても、

在り方や発しているものの質は全く違う。

 

そして、その発している質こそが本質であって、

人はその発している質に見合った現実を常に生きている。

 

だから、結局は在り方を磨く高めることが大事だろうって思うんだ。

 

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