私はよく、弱さを認める、といったような話をします。
完璧な人格にはなれないし、なる必要もない。
てか、マジで完璧な人格とかむりです!
なれません。笑
私も普通に怒るし、ムカつくときもあるし、寂しいときもあるし、悲しいときもあるわけです。
人を寂しがらせたり、悲しませたり、怒らせたり、気づかぬうちに傷つけてしまうこともある。
完璧な人格などとは、ほど遠い…
昔は、怒ってはいけないと思っていつもニコニコしていました。
でも、もうニコニコはやめました。
結構、無愛想にしていることが多いんですよね。
無愛想というか、なんですかね、不自然に笑わないというか。
笑顔をデフォルトにしない、って感じ。
笑顔がデフォルトの人って、大体、怒りを抑圧していたりする。
笑ってなきゃ好かれないとか、笑っていれば無害でいられるとか、
人格的に優れていたい、人格的に優れているということで優位性を保ちたい(逆に言えば、人格的に優れていないと認められないという恐れ)と思っていたり。
そんな感じの気持ちがある。
私は笑顔がデフォルトになっていて、なんだか悩んでいる人には、心がどうこうというより、「無愛想になりましょう」と言ったりします。
でも、なかなかできない。
多分、過去に無愛想で怒りっぽい人に悩まされたのでしょうね。
怒りたいときに怒れないし、ムカつくときにムカつく顔できないし、嫌いな人に「あんた嫌い」って態度をとれない。
それを愛からやっているならいいのですが、恐れからそうしているケースが多いもので。
私の中では、「無愛想になれる」っていうのは超重要なことだと思っているんです。
無愛想になるというのは、
自分の弱さを認めることであり、ネガティブな感情を認めることであり、
他者からの承認に左右されない自分になることであり、
自分を大切にするということなんですよ。
「ちょっと、ちょっと、そんな怖い顔してないで、みんながさ…」
「しらねえよ、おらあいま、イライラしてんだ」
という感じでもいいじゃないかと。
うるさい、と。
みんながどうとかしらん、と。笑
まあ、そんなのは子供っぽいとか、けしからんとか言う人がいるでしょうけれど、
そういう心の裁判官みたいな人が多いから、みんな大変なんですよ。
私の場合、別にイライラしていいし、それを周囲に振りまこうが、まあそういうときもあるわなと思います。
いやだったら、その場を離れるか、関わらないようにする。
「うぜ!」とは思いますよ。普通にそれは思う。
そんな「うぜ!」と思う自分で良いと思うし、うざいからその場を離れる。
でも、「そんなのはいけない!!」みたいなことはない。
ただうざい。
それだけ。笑
うざくないなんてことはないでしょう。それはそれでおかしい気がします。
うざいもんはうざい。笑
まあ、自分だってそういう風になるときあるかもしれないな、って感じ。
人間なんて、どうしようもないものです。
私もどうしようもないです。
そんなどうしようもなさを認めつつ、まあ、できるだけいい感じの人になれたらなあという感じでいます。
で、そうやってネガティブな感情を認めていると、ちゃんと自分が何を感じているかことがわかります。
ちゃんと感じることができると、消えていきますね。
心を安定させようと必死になるより、
不安定でもええわ
と思った方が、安定するもんですよ。
では。
おやつがないとか信じられん!イライラ!
いけじゅんBAR第2回も好評です!
:いけじゅんBAR第2回「なぜ、大きな目標はあるのに行動できないのか?」
たくさんの高評価をいただいています。ありがとうございます^^
「人生で大切なこと」をストーリー形式で面白く読める「学べる物語」記事はこちらから全て読めます。
どうしても達成したいことがある、恋愛を成就させたい、自信を持ちたい、自分が望むライフスタイルを手に入れたいという、自分の可能性を信じる人に向けた限定のメルマガも書いています。無料なのでよければ。
大好評!最新刊『毎日15分自分と向き合えば、「欲しい結果」がついてくる』