「調子に乗る」ことについて本気を出して考えて、言語化してみた

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「調子にのるな!」とか「あいつは調子にのっている」といったようなことが言われることがあります。

この「調子にのる」というのは一体どういう状態のことを言うのか。

関心があったので最近考えていて、結論が出たのと、言語化もできたので書いていきます。

そもそもなぜこのテーマに関心を持ったのかというと、

 

「セルフイメージを高めると、調子に乗っていると思われるのでは」

 

といったような声を聞いたから。

それは違うなあ、と思いながら、よしじゃあ言語化してみようかというところがスタート。

 

「調子に乗っている」状態とは、

他者との比較によって自己を特別だと思い優越感に浸っている状態。です。

重要なのは、「他者との比較」であり「優越感」であり「誰かを負かす意識がある」ということ。

説明をわかりやすくするために、話を一旦「あいつは調子に乗っている!」と言う側に移すと、

強く反応する人はなぜ強く反応するかというと、

劣等感を刺激されるからです。

ある意味、その調子に乗っている本人は「他者を下にすることで自分を上にして優越感に浸っている」状態なので、

そもそも劣等感を持っている人がその人を見ると、

自分が小さくなったように感じる

のです。

あいつのせいで小さくされた!

と感じる。

で、劣等感が強いと、それが許せない。

一番許せないのは、自分が小さくなること。そう感じること。

そう感じさせる「他者」の存在。

その他者がいると自分が小さくなってしまうので、

「調子に乗るなよ!」

と言いたくなる。

そう言うことで相手を小さくして、自分の大きさを必死に守ろうとしている状態。

ネット上で悪口を書く人は基本的に劣等感が強い人が多く、

誰かが成功すると自分が小さく感じるので、なんとかして成功した人のアラを探して糾弾し、

相手を小さくすることで自分の大きさを必死に守っています。

ただ、実はその怒っている人も、本質的には調子に乗っている人と変わりません。

「調子に乗るな!」

と言うことで自分を「大きく」しようとしているわけですから、根は全く同じなのです。

同じ本質を持った人たちが、勝った負けたのエゴゲームをしている感じですね。

どちらが大きいか小さいか。のゲームをしていて、それが「人生そのもの」になっている。

そうなると、いつも「あいつは自分を小さくさせる存在なのではないか」と恐れ、見張っているはずです。

そして、

自分を大きくさせる存在を好きになり、自分を小さくさせる存在を嫌いになります。

好き嫌いが「己のエゴを大きくするか小さくするか」という基準になります。

結果、自分を支持する奴隷のような人を増やそうとする。

昨日書いた、「奴隷の奴隷」状態です。

奴隷は好きだけど、自由な人は嫌い。

となる。

自由な人は自分のエゴを大きくしてはくれませんから(そもそもその土俵に上がっていないから)。

人に力を持たせるのではなく、人の力を奪って、支配する。

そうすることで、自分の大きさを保とうとする状態になっている。

では、「調子に乗る」ということではない「セルフイメージが高い状態」というのはどういう状態か。

それは、「他者を負かす必要のない」状態です。

ただただ自分の価値を感じ、信じ、自分はできる、大丈夫だと思っている状態。

そして、淡々と己の道を進んでいける状態。

成功してもあまり妬まれない人っていますよね。

それはなぜかというと、その人の「意識状態」の中に、

他者を負かそう、排斥しよう、他者との比較において特別であろう、という意識がないからです。

その意識がないから、劣等感が強い人の劣等感を刺激しにくいのです。

(勝手に刺激されてしまって騒ぎ始める人も一定数はいるでしょうけれど)

そういう人は、そもそも不毛な勝負の土俵に乗っていない、ということ。

その土俵に自ら乗ると、劣等感の強い人の劣等感を刺激してしまって、

「調子に乗るな!」と強く言われることになります。

結果、自分が苦しいを思いをすることになる。

さらに、その土俵に乗らないという立場でいられる人、その立場の存在に気づいている人は、

たとえ「調子に乗っている」人がいたとしても、「かわいいなあ」と感じたりします。

結果が出て、有能感を感じて、嬉しかったんだろうなあ、と。

その感情もじっくり味わってほしいな、と感じます。

あんまり強く「調子に乗るな」と言う必要性を感じないというか。

その人が他者を排斥して有能感を感じている場合には、それなりのことがその人に起こるはずであり、

その中で勝手に何が大事なのかを学んでいく。

そういう意味で、長期的に見ればその人が調子に乗っているのも一つのプロセスなのだ、という「視点」で見られるようになります。

あたたかく見守ることができます。

そして、その人は自身の経験によって本物の学びを得ていくのです。

セルフイメージを高めることは全く悪いことではなく、調子に乗るとか傲慢になることとは全く別のことです。

自分に価値を感じる、もそう。

むしろ、真逆です。

セルフイメージを高く持ち、自分に価値を感じるから、調子に乗る「必要性」がないし、傲慢になる「必要性」もないのです。

このあたりの勘違いがあるな、と感じたので、今回「調子に乗る」ということについて扱ってみました。

では今回は、このへんで。

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この写真の人の表情はいいですね。調子に乗るのではなく、ただ己のしたいことに真剣に取り組み、成長しようとしている人の表情。セルフイメージ高いです。笑

 

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