Noを言えると、「時間」と「自信」が増える

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人生では、「No」を言えなければ言えないほど、苦しむ。

これはマジだ。Noを言えないのは、マジやばい。

「言わない」のと「言えない」のでは、大違い。

「言わない」というのは、在り方としてはありだと思う。どんな無茶ぶりにも応え続けるという在り方。人生のある時期では、必要になる在り方かもしれない。

でも、それでも、「言えない」のは苦しい。

行きたくもない飲み会。

やりたくもないこと。

一緒にいたくもない人。

Noを言うことができなければ、 「嫌いなものに囲まれる人生」を生きることになる。

かく言う私も、Noを言うことは大の苦手だった。

そのとき、周りにはなぜか嫌いな人がたくさん集まった。

いつもニコニコしているから、特に、「横暴な人」が集まった。

私が何をしても怒らないとタカをくくっているので、とにかく舐められて、ないがしろにされた。

それでも、私はニコニコ笑っていた。

相手の評価を落とすことに対して、恐怖を感じていたから。マジびびってた。

そのとき、自分が自分をないがしろにすれば、人からもないがしろにされるのだということを深く理解することになる。

当時は、相手の評価を落とすくらいなら、我慢に我慢を重ねた方がマシだった。

自分が我慢することで評価を落とさないのであれば、それでよかった。マジ安心だった。

けれど、そうこうしているうちに、失っているものがあることに気づいた。

「時間」と「尊厳」だ。

他人に好かれる代わりに、どんどん自分の時間は失われていった。

他人に好かれる代わりに、どんどん自分のことは嫌いになった。

好きなことをしている時間、好きな人といる時間、自分のことを好きでいる時間はどんどん減っていった。

そのことがどれだけ恐ろしいことであるか気づいたとき、

私はやっと「Noを言う」ことを始めた。

気づいたことは、Noを言えれば言えるほど、自分のことを愛せるということだった。

望まないことに対してNoを言うということそのものが、自分を愛するということなのかもしれない。

それは、他人の評価よりも、自分の思いを大切にするということだからだ。

さらに面白いことに、「俺はNoが言える」と思えるようになると、

Noを言わなければならないような場面が減っていった。

そもそも、Noを言わなくてよくなってきたのだ。

それは結局、「この人はNoを言える」ということがオーラで伝わるので、

人にないがしろになされたり、軽く扱われたりすることがなくなってくるということ。

自分の「在り方」が変わることで、周囲の影響を与えたのだ。

ホントに、そういうことは起こる。

当然、逆も起こる。

周りが横暴だとか周りのせいにする前に、一度自分の在り方を見直してみよう。

自分が「Noを言える自分になる」だけで、周囲も変わり始めるかもしれない。

 

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