お盆休みに対する認識が薄すぎるのだが、今日はまだお盆休みなのだろうか?人が、多い。ただ、みんな家族連れやカップルで時間を過ごして楽しそうだ。
イケジュンはと言えば?
いつもと変わらない毎日を過ごしてます!
ゲームがスポーツと再定義される時代
では本題。
さて、今日は「再定義」という、何やら小難しいことについて書いていく。
実際にはそんなに小難しくはないと思うので安心してほしい。
本題に入るに当たって、まず紹介したい人物がいる。
ギネスブックにも載っているプロゲーマーの梅原大吾さんだ。
東大卒プロゲーマー「ときど」さんという人もいるのだけど、
人間的な深みでいうとやはり「ウメハラ」だろう。
知らない人も当然いると思うので、少しだけ紹介する。
彼らは「プロの」ゲーマー。つまり、ゲームをすることでお金を稼いでいる。
彼がやっているゲームは古くからある「ストリートファイター」。
こんなゲーム。
「ウメハラVSときど」
プロフェッショナル仕事の流儀。
今回は梅原さんを紹介することが目的ではないので梅原さんときどさんの紹介はこのくらいにしておくけれど、
このゲーム以外にも、今は様々なゲームの大会が開催され、賞金も高額なものが多いようだ。
知らない所で、知らない世界は広がり続けている。
ゲームはすでに「eスポーツ」と呼ばれる「スポーツ」であると再定義されている。
確かに、エンターテイメントとして楽しむのであれば、ゲームにはスポーツ観戦と全く同じ面白さがある。
そこで感じられる楽しさは、スポーツ観戦のときに感じられる楽しさと何ら変わるものはない。
プレイヤーからすればゲームをすることで生計を立てることができるわけだから、日々好きなゲームに夢中になっていればいいということになる。
昔はゲームと言えば暇つぶしやただの娯楽という要素ばかりだったが、
「スポーツであるという再定義」がされることによって、ゲーマーはスポーツ選手と同じような扱いを受けるようになっている。
特に韓国ではゲーマーの方がスポーツ選手よりも地位が高いという話も聞く。収入も、もちろん高い。
勝たなければならないという宿命を背負うことにはなるわけだが、それはスポーツ選手も変わらないだろう。
ゲームもスポーツも、そもそもそれ自体が誰かのためになるわけではない。
例えばサッカーだって枠の中にボールを入れるという競技で、よく考えれば何の意味もない。
ただ、観ているものからすると、そこで繰り広げられる人間同士の熱い闘い、そこまでに至る選手や監督のストーリー、人生を賭けた勝負。
そういったところにエンターテイメント的な面白さを感じるのだろう。
だから、観たいと思う。
そう考えれば、価値の本質はサッカーもゲームも変わらないと言える。
人間は、どこかでエンターテイメントを求めているのだろうな。
つまらない退屈な人生は嫌で、楽しい毎日を送りたい。気分が上がるようなことをしたい。充実した人生にしたい。
それは誰もが抱く普遍的な思いだろうし、人生を楽しむということは人生において一番大切なことかもしれない。
ブログを再定義するなら?
例えば、ブログを再定義するとすれば、どうなるだろうか。
さすがに、「ブログはスポーツである」と定義するのは難しそうだが、
「ブログはアートである」「ブロガーはアーティストである」という定義なら、まだいけそうだ。
そういう定義をしている人もいるかと思うが、浸透してはいないだろう。
もしもその定義が浸透し始めたとしたら、ブロガーを目指す人も増えるのかもしれないし、他の再定義の方が良いのかもしれない。
ただ、今のところ、ブロガーの中にはそこまで「カッコイイ」人はいないように感じていて、個人的にはそういう人が出て来れば面白いなと思ったりもする。
自分の仕事をどう定義する?
次に、
自分をどう定義するか。自分の仕事をどう定義するか。
これは難しい問題であり、考え続けていくことでもあり、
時代に合わせて変化していくものなのかもしれないし、変化させない方がいいのかもしれない。そこは一考に値するところだろう。
フリーランスで働くような場合、常にそこと向き合い続けるような部分がある。
何かのサービスを生み出すにしても、何のために、誰のために、何を目指して、など考えていく必要がある。
この記事の中で「定義の仕方はこうだ!」とか「こうするのが良い!」と言うつもりもないし、
そこに公式だとかそういうものは存在しないのだと思う。
残念ながら、その「答え」はこの記事には書いていない。
結局は、そういう部分でこそ「自分の頭で考える力」が問われる。
自分で問いを持ち、自分で答えを導き出せる力こそが一番大事な力なのだ。
今の時代はどうなっているのか。
時代が求めているものと、自分がしたいことや目指しているものや大事にしていること。
そういった全てを総合的に判断して出していくもの。
結局それは自分と向き合う作業になるだろうし、環境や時代や状況やそこに生きる人々の心の変化をよく観察することになるのだろうと思う。
そういう取り組みを続けられることが「サバイバリティ」そのもので、その力がない人は結局は「答えを与えられるのを待っているだけ」の人になっていくのではないか。
「再定義」するだけでゲームが爆発的な人気になり、世界中に波及し、社会的地位まで得られるようになる。
そんな現実を垣間見ると、「再定義」というものについて深く考えさせられる昼下がりだ。
加藤秀視さんと始めたプログラムも、面白いことになりそう。
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