北方謙三の魅力。売れない10年間も愚直に書き続け、小説界に名を刻んだ男。

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私が好きな作家北方謙三氏は純文学で大学生の頃にデビューしたが、その10年間鳴かず飛ばずの時期が続いた。

そこからハードボイルドエンタメ小説を書き始めて成功していったのがケンゾーなのだけど、

重要なのは、10年間書き続けることができたこと。

ボツ原稿の山は背丈を越えたらしい。あの薄っぺらい原稿用紙を重ね合わせて背丈を越えるとは、相当な量だ。

でもなぜ、結果も出ないのに10年も書き続けることができたのだろうか?

結果が出ていないのに続けられた理由


 

言葉で見ると「10年か、すげえなあ」程度の感想しか持てないかもしれないが、その日々を具体的に想像してみよう。

10年だ。

うぬぬ…

10年、結果も出ずに書き続ける。

しかも、当時はSNSもない。

Facebookなどに投稿すればすぐに「いいね」などがついて反応をもらうことができるが、

ケンゾーがもらうことができた反応は、編集者や奥さんくらいのもので、それも、書き上げるまではもらうことはできないものだ。

私も8年ほどブログを書いてはいるが、ブログというのは日々読んでもらえているという感触もあるし、小説に比べて量も少なく、ケンゾーの環境と比べてしまえばゆるすぎる環境だと言える。

なぜ、ケンゾーは10年も結果が出ない状況の中で書き続けることができたのか?

「死ぬまでに直接聞いてやる」と思っているが、

自分自身が自分の書くものに惚れていたからだろうと思う。

(当然、推測にすぎないけれど)

世間に認められなかったとしても、自分が自分を認めていた。

自分の書くものは必ず認められるはずだと信じていた。

だから、書き続けることができたんじゃないか。

まずは自分が自分を認めること


 

「認めてもらおう」じゃなくて「認められて当然だ」「認められるに足るものを俺は書いている」という自覚。

「承認してくださいよお〜」と求めているのではなくて、承認されて当然だという感覚。

自分が自分を信じていなければ、結果が出ない状況で10年書き続けることは難しいだろう。

人に承認されて初めて自分を承認できる状態であれば、編集者に「ダメですね」と言われただけで落ち込んでしまって、もう書けないかもしれない。

でも、よく考えてみれば、ケンゾーのような環境の中でそんなことを言っていたのでは、作家になることなどできない。

誰も構ってはくれないのだ。

「バカ言ってんじゃねえ。俺は、できる」

ケンゾーがいた環境からすれば、それくらいの感覚が必要だろう。

「認めてもらおう」ではなく「認めさせる」。

ここでの認めさせるとは、認めてほしいよお〜というニュアンスではなく、自分は人を唸らせるものを書くことができるという自覚のことを言う。

妙に強がるのでもなく、それができて当然だ、という感覚。

先に承認されることを求めていたのでは、何も始めることはできないし、何も続けることはできない。

ちょっとの否定でやめたくなる。

自分が自分を信じること。

どんな反応があったとしても、うまくいかないことがあったとしても、

自分がやっていることの価値を、自分自身が信じることから全ては始まるし、続けることもできる。

 

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