目の前の快楽に流されない方法。人から見たら努力、自分からすれば娯楽という状態を作るということ。

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「やりたいことがあっても目の前の快楽に流されてしまうのですが、どうすればいいですか?」という質問をいただいた。

ここで言う目の前の快楽というのは多分、

漫画やゲーム、スマホ、SNSチェック、遊びの類…

といった、そういうものだと思う。

 

何かやりたいことや、やらなければならないことがあるにも関わらず、それができない。

そんな経験は誰にでもあるはずで、

ただ、一方で淡々と自分がやりたいことをやり続けている人もいる。

 

この違いは一体何なのだろう??

人から見れば努力、自分からすれば娯楽


 

自分のケースで恐縮なのだけど、例を挙げて考えてみたい。

昨日は体を鍛えるトレーニングをしたわけだけど、ハッキリ言って、トレーニングはキツイ。

筋トレだけでも心拍数がめちゃくちゃ上がるし、昨日のブログにも書いた通り筋トレ後は基本的に何もできなくなってしまう。

 

例えばこの例で「目の前の快楽」を考えるとすれば、

ジムには行かずに家にいて、家でのんびりとすることになるのだと思う。

ただ、自分の感覚としては、トレーニングをすることがもはや快楽そのものなんだ。

つまり、家でのんびりするよりもジムに行きたくて仕方がない。

家にいるなんて我慢できない、ということ。

快楽そのものが変化している

ことが大事なポイント。

 

人から見たら努力だけど、自分からすれば娯楽である

 

ということ。

 

別の例で、これもまた自分の話になってしまうのだけど、

受験生時代だって、勉強そのものが快楽になっていた、というだけだった。

「よく誘惑に負けませんでしたね」とか言われるのだけど、

そもそも誘惑があまり存在しなかった。

誘惑と「戦った」記憶はあまりない。

そもそも誘惑が誘惑ではなくなっていたからだ。

 

それはつまり、勉強以外をしたいとは思えなかったし、勉強こそが一番「したいこと」だったということ。

 

だから、努力をしている感覚はない。

ゲームをしている暇があるなら勉強をしたかったし、

友達とだべっている暇があったら勉強したかった。

ある意味、勉強にハマっていた、とも言える。

 

今も文章を書く、仕事をすること自体が自分にとっての快楽だし、

願望を実現していく道のりはすごく楽しい。

ただ、この「快楽それ自体の変化」が起こるためには、いくつか条件がある。

自分の願望を知っていること


 

まずは、自分の願望を知っていること。

自分の心が躍動する、ワクワクする、震える、楽しくなる。

それが実現したときに感情レベルで大きな喜びを感じるものとは何なのか。

それを知っていること。

それを知らなければ何をすればいいのか分からないし、どういう方向に進んでいいのか分からなくなる。

自分自身が何が好きで、何が望みで、何を実現したいのか。

それを知っているということ。

自分の願望に許可を出していること


 

もう一つが、自分の願望に許可を出していることだ。

 

例えば、本当はお金が欲しいにも関わらず、「お金を儲けてはいけない」と思っていたらどうなるのか。

当然、お金を稼ぐことはできないし、どこかでストップをかけてしまうだろう。

そのとき、お金を稼ぐことにつながることをすることは億劫になる。

やりたいことなのに、なぜか億劫になる。

 

そこに「葛藤」が生まれるからだ。

 

心の中の「葛藤」が強くなり、葛藤が強くなればなるほど、疲れる。

疲れやすい人の一つの特徴は、心の中に強い葛藤を抱えていること。

何も具体的なことをしていなくても、心の中の葛藤が大きければ「あーでもないこーでもない」と考え、それだけで疲れる。

葛藤で疲れるので、具体的なことができないということにもなる。

 

その疲れを取る方法は2つある。

まずは、抵抗している信念や思考を手放すことだ。

これは、ブレーキを踏んでいる足を外す、ということ。

もう一つが、願望そのものをないことにすること。

これは、アクセルを踏むことをやめる、ということ。

 

どちらを選ぶにせよ、葛藤はなくなるので疲れることはなくなる。

 

ただ、葛藤があるということは強い願望があるということで、

強い願望があるにも関わらずそれを押し込める信念を持っている場合、人はネガティブになる。

葛藤している状態そのものが、人をネガティブにする。

自分的娯楽を追求する


 

話を戻して、

自分の場合で言えば、トレーニングをして強い肉体を作ることや、作家で在ること、メンタルトレーナーで在ることに許可を出しているから、

どんどんその現実は具現化され、日々そうで在るためにするべきことをすることができる。

友達に誘われてもつまらないなら普通に断るし、基本的に誰かを誘うこともあまりない。

日常すでに好きなことややりたいことをやっているので、時間潰しに、とか暇潰しに、という発想はなくなっていく。

もちろん、日常が好きだということは非日常が嫌いだということにはならないので、たまに出会う非日常も大好きだ。

ただ、俗に言われる「誘惑」というものが少ないので、そもそも誘惑と戦うことも少ない。

もちろん、遊ぶこともあるし、飲みに行くこともある。

それが全然面白くないということではなくて、もしもそれがなくても十分に日々面白い、ということ。

その状態になれば、淡々と自分がやりたいことができる。

そして、その状態というのは、願望を知っていること、願望に許可を出すことで実現する。

ただ、こう言われたところでなかなか難しい、と感じるのではないかと思う。

 

だからこそ、トレーニング。

 

いきなり全部に許可を出せなくてもいい。

少しずつ、自分に許可を出していく。

少しずつ、一歩を踏み出していく。

すると、「あ、やっていいんだ」「これで良かったんだ」という感覚を感じることができるようになってきて、

その感覚が増えていけばいくほど、

人から見れば努力、自分からすれば娯楽

という感覚も得られるようになってくるはずです。

 

 

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