カフェで嫌われ続けている一人のおじいちゃんの話。

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いつも行くカフェに、一人のおじいちゃんがいる。

このおじいちゃんは、とにかく嫌われている。

もう、誰が見ても、嫌われている。

だけど、おじいちゃんは気付かない。

全く、気付かない。

不思議なほどに。

いや、気づいてはいるけれど、見ないようにしているのか…であるならば、少しせつない。

 

カフェには美人が多くて、おじいちゃんはウェイトレスが通るたびに声をかける。

ひたすら、声をかける。

寂しいんだろうな。

でも、それが行きすぎて、迷惑になってしまっている。

 

俺が言っている「嫌われてもいい」っていうのは、そういう意味じゃないんだよ、じーちゃん。

そこんとこ、勘違いしないでほしい。

ただ、よくそこまで話す話題が思いつくなあと、そこはいつも感心させられる。

俺は雑談は得意じゃないし。

 

ウェイトレスも一応お客さんだから愛想良く対応はするのだけど、

最近は限界を迎えてきていて、無視するケースも増えている。

よく耐えたと思う。

俺だったら最初から無視してるところだ。

でも、おじいちゃんはめげない。

見上げたメンタルだと言うこともできるかもしれないけれど、それはちょっと違う。

 

おじいちゃんは自分と向き合わなきゃいけない。

あまりにも自分を客観視できていないその様子から窺えるのは、

おじいちゃんと真剣に向き合う人が近くにいなかった、ということだ。

向き合うのは面倒くさい。

実際、今のおじいちゃんに向き合えば面倒くさいことになることは目に見えている。

 

おじいちゃんが自分と向き合えない感をあまりにも放ちすぎているので、

向き合おうと思う心理的スペースが全くないんだ。

「あ、無理だな」と自然に感じてしまう。

 

結局、人はその人の在り方を見て、自然な反応に従った行動をする。

だから、その人の在り方次第で現実っていうのは自然に動いていくんだよね。

良くも悪くも。

 

向き合うっていうのは、大変なこと。

でも、向き合うこと、向き合われることで初めて、自分のことが分かる。

おじいちゃんの人生が悪いものだとは思わないが、

多分、日々寂しさや、苦しさを感じているのではないかと思う。

そこから解放されるには、自分に気づいていくしかない。

 

今日もおじいちゃんはウェイトレスに話しかけ、微妙な愛想笑いを浮かべられるか、無視されながら、コーヒーを飲んでいる。

 

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