今日は、1日のパフォーマンスを高めていく話をしたい。
そのために受験生時代の話をすることになるのだけど、ある意味極値というか、
もう少し休憩や余暇の時間、家族との時間などを入れてもいいと思う。
今のあなたとは状況も違えば、環境も違う。
なので、真似するというよりも、参考になるところをつまみ食いしてもらえればと思います。
家族や恋人やペットとの時間は大切なので。
では、いきます。
なぜ、1日中楽しく勉強することができたのか?
受験生時代、朝4時に起きてほとんど1日中勉強していた、という話を昔よくしていた。
これだけ聞くとすごく努力をしていたんだなと感じるかもしれないけれど、実際にはそんなことはなかった。
着々と、自分が成長することが楽しかったんですよね。
その受験生時代の話は切り口次第で色々と書くことがあるのだけど、
「なぜ1日中勉強できたのか?」という部分に関して、今日は書いていきたい。
もしかしたらあなたも、勉強量をもう少しこなしたい、仕事量をもう少し増やせれば、という思いがあるかもしれない。
そういうときには役に立つんじゃないかと思う。
1日中勉強するために大切だったことは、
1日が細切れになっていること。
まるっと「1日」という捉え方をしている場合、必ずどこかのタイミングでダレるか、気持ちが切れてしまう。
大体、午後14時くらいから危ない。
自分の受験というのは志望校が京大法学部。
京大を受験するためには、英数国社理、全ての科目の勉強が必要になる。
しかも、その全ての科目で大きなミスは許されない。センターの失敗でさえ致命傷になる可能性がある受験だ。
科目数の多さに加え二次試験は難度が高く、同時にセンターも軽くクリアしていく必要がある。
そういった力が問われる受験だった。
そういう客観的な状況がある中で、自分は英国数は毎日勉強し、理社は1日置きに勉強するという作戦を取っていた。
数学が朝4時〜8時。
英語が朝9時〜12時。
国語が昼13時〜16時。
社会(生物)が17時〜19時。
20時〜22時までは自由な勉強時間とし、進んでいない科目や復習したい科目の勉強に当てていた。
(当然、それぞれの科目の中でも休憩は挟む)
そして大体、その中で何をやるのかということも決まっていた。
決まっていたから、ただやればいいだけだった。
1日の総勉強時間は、休憩時間やなんやかんやを挟んで12時間くらいか。
その毎日をひたすらグルグルと繰り返していたわけだけど、その毎日が苦しかったという記憶はあまりない。
むしろ充実していた。
その勉強量をこなせていたのには、いくつか理由がある。
まず、客観的に見て、二次試験の難易度プラス取らなければならない点数、センター試験のことも考えると、
このくらいの勉強量をこなす「必要性」があることに気づく。
1つの科目に1時間の勉強量では、ほとんど何もできない。
じっくり取り組んでいくためにはやはり2〜3時間は「必要」になる。
それも、要領が悪い、頭の回転が遅いのであれば余計に勉強量が必要だ。
と考えれば、このくらいはやる「必要性」があるわけで、もしもやれないのであれば不合格になるという、それだけの話なのだ。
ここは、ものすごく重要な点。
やる気は、外側の状況や自分自身の能力に関しての客観的認識から生まれることがある。
「どう考えてもこれが必要だよね」
という認識を肚の底からできていれば、人はそこに向けて動きだすことができる。
というか、動き出さざるを得ない。
逆に言えば、客観的に状況や自分の能力について理解していなければ、
人はダラダラとしてしまうものなのだ。
自分の場合で言えば、
「京都大学法学部に必要な学力」
「その学力に至るために必要な勉強量」
「自分の能力」
この3つに関して客観的に把握しようとする姿勢が、最大の勝因だったと思う。
受験が上手くいかない人は、こういった要素に対する認識力不足が原因だ。
最も上手くいかないケースで言うと、
「必要な学力を低く見積もる」
「必要な勉強量を低く見積もる」
「自分の能力を高く見積もる」
この三つが揃ったとき、その受験生はなかなか上手くいかない。
ただ、劣等感が強い人、セルフイメージが低い人、エネルギーが低い人は、どうしてもその三つが揃ってしまう。
必要な学力や勉強量を低く見積もり「たい」、自分の能力を高く見積もり「たい」と感じてしまうのだ。
そういう認識を持つことで、満たされない自分の内側を満たしたくなる。
そうやって自分を満たす「必要性」のある場合には、人は上記の三つをどうしても揃えたくなってしまう。
すると、上手くいかない。
結局、土台となる「メンタルの安定」「セルフイメージの高さ」「エネルギーの高さ」が問われることになるのだ。
それらが揃えば、上記の三つの認識とは完全に逆の認識ができるようになる。
つまり、ダラダラの原因の一つは認識不足。
認識していれば、ダラダラしている時間はないと「知っている」状態になる。
そして、その認識能力不足は、例えば仕事をする上でも影響し、
個人で働く場合には、特に大事になってくる。
どれだけ今の自分を客観的に見て、必要な一手を打ち続けられるかの勝負なのだ。
客観的に自分を把握する力がなければ、打つ手打つ手が的外れで空回りして、疲れ果てる。
目の前のことに集中すればいい
実際に勉強する毎日を過ごしている中でやっているのは、
ただ目の前の科目に集中する、ということだけだった。
良かったのは、科目をチェンジすることで気持ちにメリハリが生まれること。
今は数学に集中していればいい。今は英語。国語。
そうやってメリハリがつくことで自然に1日が「細切れ」になっていたのだ。
そうやって細切れの1日を過ごすことで集中力を維持にすることができ、科目が変わることで気分が変わり、飽きることなく勉強を続けることができていた。
この「細切れ作戦」というのは非常に有効で、
あなたがやることにも色々と種類があるはずだ。
まずはどんな種類があるか明確にして、細切れでそれをするようになる。
まるっと1日と考えるのではなくて、どの時間に何をして、ということを予めイメージしておく。
そして、その時間には自分がやると決めておいたことに集中する。
集中していれば絶対に自分が望んだ現実に近づいていくのだから、その時間はそれに集中することが一番良い時間の使い方だということも認識しておく。
そうすると、1日の中にメリハリが生まれて、良い感じで過ごせると思う。
そうやって自分がしたいことができている、着実に前に進んでいるという感覚は、楽しい。
充実感がある。
自分の願望に自分が向かえているという実感によって、さらにエネルギーが湧いてくるんだ。
もちろん、あそこまで勉強する必要はないかもしれないし、家族との時間、遊びの時間なども取っていいに決まっているわけだけど、
「楽しい」「充実している」という状態になれば、人はそこまでできるんだ、ということも知っておいてもらえればと思います。
今回、想定外に受験の内容が多くなってしまったのだけど(笑)、
あまり書き過ぎても訳が分からなくなってしまうと思うので、今回はこのへんで。
出版記念ライブ募集中。
より深い内容は、メルマガにて書いてます。
オンライン人生相談BAR「いけじゅんBAR」もやってます。
いけじゅんBAR第2回「なぜ、大きな目標はあるのに行動できないのか?」
4冊目となる著書はこちら。