他人の言動や発信が気になるとか、他人からどう思われるかが気になるとか、その原因は色々ある。
ただ、もし仮に自分がやりたいことが明確で、自分がどうしたいかが分かっていて、日々そこに向かってトレーニングを続けているとしたら、
周りが何を言うかとか、何をしているかとか、気になるだろうか?
少しそんな想像をしてみると、あまり気にならないような気がしてくると思う。
ということは逆に言えば、自分がどうしたいのか、何がしたくて、どうなりたいのかが分からないからこそ、
他人の言動や発信に一喜一憂し、一喜一憂させる相手が「悪い」と思ったり、相手に変わって欲しいと思ったりする。
昨日の記事にも書いた通り、今は時代として悩みやすい時代なのかもしれない。
以前のように「決まっていたもの」が崩壊することによって、自分で選ぶ自由が生まれた。
これはもちろん良いことなのだけど、物事には両面あるもので、逆に言えば「自分で決める必要が出てきた」ということ。
もっと違う捉え方をするのであれば、
自分の願望がどこにあるのかみんなが追求しやすくなった
とも言える。
様々な人の生き方や価値観がコントラストとなり、自分は何者で、自分は何がしたくて、何に惹かれるのかということを感じやすくなったわけ。
自分の好みを明確にして、実際に明確になったその好みに向かって生きていくことができる時代。
ただ、その自分の好みがどこにあるのかを見極めるまでが大変というか、
正確に言うと、すでに明確になっているものに「許可」を出すことが難しいと感じている人が多い。
人間というのは実は自分の願望をすでに知っている。
でも、そこに許可が出せなかったり、制限的な思考があったり、自分にはできないと思い込むことでその願望が見えなくなっている。
そして、そういう状態になると人はネガティブになる。
ネガティブな状態であるとき、人は自分の願望に向かえていないし、許可を出せていないし、願望に抵抗するようなことを日々考えているもの。
ネガティブな状態というのは、そうやって自分にとって望ましくないことを考えている、ふさわしくない思考を持っている、ということを教えてくれている。
例えば、誰かからLINEが返って来ないとして、
自分は嫌われたんだ、嫌われる存在なんだ…
と「思考する」と、ネガティブになれる。
まあ今は忙しいんだろうな
と「思考する」と、ニュートラルでいられる。
LINEが返って来ないということ自体は同じだけど、そのことについて自分が何を「思考する」のか。
それが自分の感情を決めるわけだね。
ここには、その人がどういう思いをこれまで持ち続けてきたのか、どういう想念、どういう自己認識を持っているのかが影響していて、
ネガティブな人は基本的に「解釈の質」「解釈のフィルター」がネガティブなものとして強化・トレーニングされているので、様々な出来事が一瞬でネガティブに見えてしまう。
でも、本来その出来事にはどんな意味も色もついていない。
フィルターをどう磨き上げてきたか、どう物事を解釈し、どういうトレーニングを積んできたか。
それが物事の捉え方を決め、そして、現実を創っていく。
ただ当然、解釈の質というのは高められるし、存在状態も高められるし、願望だって実現できる。
一定期間トレーニングすればいい。
知識を得るだけでなく、これまでの習慣を変える、これまでの解釈の質を高めるために日々取り組んでいく必要がある。
一瞬で状態が良くなる、一瞬でいつでもどんなときでも良い状態でいられるようになる、ということじゃない。
継続的に取り組めるか?ということが人が根本的に変わっていくためには必要なんだ。
ただ、継続的にトレーニングを積んでいけば、間違いなく人は変われるし良くなれる。
自分の願望に向かえている、許可を出しているだけで人は良い状態になっていくし、その状態からする行動はすごく楽しいものになる。
そうすれば、今まで自分が想像していなかったような現実を実際に体験することもできるようになってくる。
自分っていうのは、今の自分では想像できないような力を本当に持ってるんだよね。
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