人って、普段はなかなか本音を見せないよね。
自分はどっちかっていうと、どうなんだろう。
出す方なのかもしれないなと思うけれど、本当のところでは出し切れてはいないかもなあとも思う。
つらいことや苦しいことがあったとしても、人前ではそんなことがあったことは出さないことが何となく求められる気がするし、
ニコニコしていなきゃ相手に悪い、という思いがある人もいると思う。
人に相談するのとかも、実際、難しいよね。
どう思われるか分からないし、受け入れてくれるかもわからない。
だから、人と一緒にいるときって本音は出しづらいし、平気なフリを重ねていると、どんどんそれが上手になっていくから周りからもそういう風に見られる。
そうなると、余計に本音は隠さなきゃいけないような気になる。
みんな心の奥には様々な思いを持っていて、奥の奥には純粋でピュアな思いがある。
人前では騒いでいる人も、空気を読むのが上手な人も、実は色々考えているし、色々思うところはあるわけだよね。
逆に、そういう人ほど本音を出すことへの恐れもあると思うんだ。
そういうことを考えると、「文章でのつながり」っていうのも大事なんだろうと思う。
文章だと本音を書きやすい、感じていることを綴りやすい部分があるから。
空気を読む必要なんてないしね。笑
文章まで空気を読み始めて、周りに合わせ始めたり、思惑や意図を持ちすぎて自分の感じていることを書けなくなっちゃったら、それは苦しいと思う。
しかもそれ、多分伝わらないし、面白くないものになっていくよなあ。
人前では本音をなかなか出せない人が、文章で自己表現をする。
それは悪くないと思うし、思いを抱えれば抱えるほど、伝わる文章を書くことだってできるはずだ。
個人的には対面でも割と本音を出せる方だと思っているけれど、その難しさはすごく分かるし、自分だって出せないときは出せない。
人前ではなかなか本音を出せない。感じていることを表現できない。
だからこそ、何かの作品で感動したり共感したり、作品を通して感情のシェアをしたいと思ったりするんだろうし、
誰かの言葉を読みたくなると思うんだ。
自分が感じていることを同じように感じている人がいたら嬉しいんだよね。
空気を読むことばかり上手になって、ニコニコする訓練を重ねていって本音を隠し続けてきたなら、
まずは文章を読むこと、もしくは書くことからでもいいんじゃないかと思う。
本音で生きてる人っていうのは面白いし、そういう人の文章は、面白い。
誰のためでもなく自分のために書く本音が、誰かを支えたり救ったりすることだってあるんだろうし。
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