【他者評価に振り回されない力】どう思われるか?が気になりすぎるアナウンサーに生放送でトレーニングを実施した結果…

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一昨日はラジオ収録。昨日はラジオ生放送収録ということで、

縁あって2日連続でラジオに出演させていただきました。

 

一昨日の方はPodcast版が後ほどアップされるので、アップされ次第、お知らせします。

 

今日はアップされない昨日の生放送について書いていこうと思うのですが、

まず番組の設定が面白かったです。

 

2人のアナウンサーさんがいて、1人が男性、1人が女性。

 

男性の方が悩みというか「ボヤき(何でうまくいかないんだよ〜みたいな)」を抱えていて、

 

女性アナウンサーが女将をつとめるお店にやってくる。

 

で、僕がその店の常連で、男性のボヤきに対しての解決策を話す、みたいな設定なんですね。笑

 

当然、2人とは初めて話すわけですが、

女将とは知り合いという設定なわけで、そういう世界観を崩さない意識で話しました。笑

 

内容としては、

 

男性が良かれと思って親しげに後輩に接したら、思ったよりも砕けた態度を取られ、

 

舐められているでは、軽く扱われているのでは、と感じるようになったと。

 

こちらは良かれと思ってそうしているのに、何でそうなるんだー!!

 

という感じ。

 

その後輩だけでなくこれまでもそういうことがあったようで、その解決策として、

 

無愛想のススメ

 

が取り上げられ、

その著者である僕が生放送で無愛想トレーニングを愛想の良さが仕事のアナウンサーさんに実施する、という内容でした。

 

(無愛想のススメを出版したのは5年前で、5年前の本が今もこうやって取り上げてもらえるのは本当に嬉しいことです)

 

 

最初、男性が、

 

「愛想の良さは僕らの専売特許じゃないですか!何を言ってるんですか!」

 

という感じで、あくまでも『ボヤきキャラ』なので、無愛想に対して反論されるわけです。笑

 

やっぱり、愛想の良さが仕事のアナウンサーさんに【公開無愛想トレーニング】をやるというのは、面白い状況だなと思いながら(笑)、

 

そこから僕が詳しく解説をしていきました。

 

 

まず、勘違いされやすいので書いておくと、無愛想のススメで書いているのは、

 

いつでも無愛想でいましょう、ということではありません。

 

愛想の良いことが悪いことである

 

ということでもありません。

 

【無愛想になれるという選択肢を持てること】

 

それが大事なことなのだ、ということなんです。

 

実際に無愛想でいるか愛想が良いかということよりも、

 

・無愛想になれるという選択肢を持っていること

・無愛想的自己表現ができること

・他者評価で自分を支えないこと

 

それが本質です。

 

愛想の良さにも色々と動機があって、

 

例えばディズニーランドのキャストの方が笑顔を振りまく。

 

お店で働く人が元気に明るく良い表情で接する。

 

それが悪いことなわけはありません。

 

その動機は「愛」にもとづいていて、そうやって振る舞っている自分も元気になるはずです。

 

その愛想の良さは素晴らしいです。

 

ただ、一方で、

 

「恐れ」にもとづく愛想の良さというのもあるわけです。

 

嫌われてはいけない、評価されなくてはならない、好かれなきゃ、

 

「そうでないと自分には価値がない」という思い。

 

そういう動機にもとづく愛想の良さは、恐怖がスタート地点になっています。

 

恐怖がスタート地点になっている愛想の良さは、愛が動機のものとは異なり、

そう振る舞っている自分は疲れます。

 

先ほどの愛ベースの場合は自分も元気になっていきますが、恐れベースの場合は疲れるのです。

 

さらに、恐れがベースになっている場合は、相手の意向に合わせようとしすぎてしまいます。

 

なぜなら、恐れがベースなので、

 

相手の意向に合わせないときに起こるかもしれない「相手の不機嫌」が怖すぎるからです。

 

相手が不機嫌になるくらいだったら、自分が我慢する。

 

その方が心理的に楽だ、と感じるわけなんですね。

 

しかし、そうなると、

 

「嫌だと感じている」「断りたい」「本当はこっちがいいと思っている」

 

といったことが言えなくなっていきます。

 

すると、どうなってしまうかというと、

 

相手はこちらが嫌だと感じていることが分からなくなるんですね。

 

表現されていないので分からず、

相手は「あ、これでいいんだ」と思ってしまう。

 

それが、砕けすぎた態度だったり、軽く扱われていると感じるような対応につながっていきます。

 

『表現されていないことは、伝わらない』

 

 

ので、自分に「Noを伝える」「こうしたいと思っている」「こう感じている」「それはやめてほしい」などの表現を許可すること。

 

それがすごく大事というお話を男性アナウンサーの方にさせていただきました。

 

 

ラジオの時間が15分くらいだったので全てはお話できなかったのですが、

 

もう少し本質的なことを書くと、

 

「相手の評価で自分を支えない」

 

これが実は最も大事で、それができると『醸し出す雰囲気』が変わります。

 

軽く扱われる、舐められる、そういう現実がやってこない「在り方」になる

 

ということ。

 

無愛想トレーニングで一番大事なのは実は、

 

自分の空気感や雰囲気が変化すること

 

 

です。

 

これは一見分かりにくいものなので、短時間で伝えることも難しいですし、すぐに理解してもらえるとも思えなかったので、

 

「ラジオではその話はせずにいよう」

 

と決めていました。

 

ただ、ここはブログなので書くと、無愛想になれる、言いたいことを言えるというのは、

 

自分に価値を感じられている、自分の気持ちを大事にできるということ。

 

そして、最も大事なのは、

 

自分に価値を感じられている【雰囲気】が自然に醸し出されていること

 

なんです。

 

表情、態度、声のトーン、話し方、言動、その全てから。

 

それが無愛想トレーニングの目指すところ。

 

そうなると、もはや無理に無愛想になろうとしなくても大丈夫。

 

ただ、無愛想的自己表現を封印しているときには、

 

無愛想的自己表現を解放して、一旦実際に無愛想になってみる

 

ことが大切です。

 

解放して初めて、「自分はいつだって無愛想的自己表現ができる」という自信や確信が生まれるからです。

 

具体的には、

 

・Noを言う、断る

・適切に自己主張する(相手がどう思うかを気にしすぎない)

・無理に愛想良くしない

・自分の本音に従う(具体的な行動内容は人によります)

・相手に合わせない

 

といったことを実践すること。

 

例えば、ラジオの中では具体的な事例として、

 

後輩とご飯を食べにいく場面について一緒に考えていきました。

 

いつも誰かとご飯に行くとなったらどんな感じですか?と聞くと、

 

「相手が何を食べたいか考えて、相手の好みなどあれこれとものすごく考えて、行く店を決めます!」

 

 

という答えが返ってきました。

 

普段は相当「自分が何を食べたいか」ではなく「相手が何を食べたいか」に意識が向いている状態のよう。

 

そこで僕は、

 

「なるほど。同じことをすると、同じことが起こります。

なので、何かを変えてみましょう。

一つ、具体的なアイデアを提案してもいいですか?」

 

と聞きました。

 

「お願いします」ということだったので、

 

「その場面でぜひ、自分は何を食べたいのかを考えてみてください。

 

おそらくですが、何を食べたいか分からないのではないかと思うので、分からなければ、

 

【相手にどう思われるかを気にしなくていいのだとすれば、何を食べたいか?】

 

を考えてみてください。

 

すると、自分の気持ちを見出しやすくなります。

 

何を食べたいのか見えてきたら、それを相手に伝えてみましょう。

 

例えば、カレーであれば、

 

今日僕はカレーを食べたいんだよね、と言ってみるということです」

 

すると、アナウンサーの方から、

 

「え!?自分が食べたいものを言う!?それでもし相手がカレーを食べたくなかったらどうするんですか??」

 

 

という感じで『ぷちパニック』になったのですが(笑)、

 

こちらとしては予想通りのぷちパだったので、

 

次のように話しました。

 

「そう感じますよね。

 

その場合は、相手の意見を聞けばいいんです。

 

僕はカレーが食べたいんだけど、君はどう?と。

 

で、相手が「うどんが食べたい」と言ったとします。

 

そうしたら、カレーを食べるか、うどんを食べるか、

 

『話し合い』

 

をすればいい。

 

恐れからの愛想の良さ的態度の一つの特徴は、

 

相手と話し合いができない

 

ということです。

 

話し合いをするのではなく、

 

先に相手の気持ちを聞いて、自分がそこに合わせることを考えてしまう。

 

しかし、そうなったとき、

 

自分のカレーが食べたいという気持ちはどうなってしまうのか。

 

自分が何を食べたいのかを感じる前に、相手が何を食べたいのかを考える。

 

その繰り返しによって、そのトレーニングを長年積み重ねてきたことによって、

 

自分は何を食べたいのか

 

すら分からなくなってしまったんです。

 

大事なのは、自分が食べたいものと相手が食べたいものを、

 

テーブルの上に並べる

 

こと。

 

一旦、お互いがどうしたいのかをテーブルの上に並べて、話し合いをする。

 

この「お互いがどうしたいかを素直に表現し合って、テーブルの上に並べる」ことが大事です。

 

そうすると、例えば、

 

『じゃあ、カレーうどんを食べにいこうか!』

 

というアイデアが出てくるかもしれない。

 

カレーうどんであれば、自分も満足、相手も満足。

 

自分を犠牲にするこなく、相手を満たすこともできる。

 

もしくは、

 

『OK!じゃあ、今日はうどんにしよう。ただ、次はカレーを食べに行きたいな』

 

ということになるかもしれないし、そこはお互いが満足できる案を出せばいいわけですね」

 

「なるほど…話し合いをするという選択肢は今までなかったです」

 

「恐れが動機になった愛想の良さは、相手から嫌われないこと、

相手の機嫌を損ねないことが最優先されるので、

 

話し合うという選択肢は出てこなくなります。

 

しかし、それは自分を犠牲にする選択を積み重ねていくということでもある。

 

一つ一つに大した影響はなかったとしても、蓄積されていくと大きなストレスになりますし、

 

今回のように相手から軽く扱われてしまう現実、そういう現実がやってくるような自分の在り方になってしまうということなんです」

 

という話をさせていただきました。

 

今回、「誰かと食事に行く場面」を取り上げたのは、

 

とにかく無愛想的自己表現をすることのハードルを下げるためです。

 

何かを学んだときにハードルが高すぎて実践できず、

結局、知識として蓄えられていくだけ。

 

その知識すら、いつしか忘れ去られていく。

 

これが「学びあるある」であり、僕としてはそういうことが起こり得ることは分かっているわけなので、

 

そんなことはさせませんよということで、適切なハードルも用意する意味を込めて、その場面を取り上げました。

 

ランチに「これが食べたい」と言うことは、他のことに比べてハードルが低いです。

 

というのも、ランチは明日も明後日も食べるから。

 

今後も食べ続けるわけなので、自分が今日これを食べたいということは受け入れてもらえる可能性が高い。

 

つまり、ハードルが低い。

 

さらに、うまくいく可能性も高い。

 

食事という「これからも何度も行うこと」であれば、自分の意見を認めてもらえる可能性が高く、

 

勇気を出して新しい行動をとってみたときに成功体験を積める確率が上がります。

 

すると、「あ、自分にもできる」「大丈夫だった」という感覚を積み重ねることができる。

 

「何の具体例にするか?」というのも実は重要で、

 

そういったことも踏まえて食事の話を具体例にさせていただきました。

 

 

「自分はこれを食べたい」と言えるようになり、話し合いもできるようになった。

 

そうすれば、何の無理もなく、相手が食べたいものを考えることもできるようになります。

 

その状態で、その在り方で、相手が食べたいものを考え、相手を喜ばせることを考える。

 

それは何の問題もありません。

 

自分はいつだって食べたいものを言えるし、話し合いだってできる。

 

その状態で相手のことを考えているのであれば、

 

そこに無理はないし、自己犠牲もない。

 

ただ「愛」があるだけです。

 

例えば、好きな相手と食事に行くとき、当然、相手に楽しんで欲しいですよね。

 

相手が喜んでくれるようなお店を調べ、選ぶこと。

 

それが悪いことなわけはありません。笑

 

冒頭でも書きましたが、

 

愛想が良いこと、相手のことを考えること。

 

それ自体が悪いわけではない。

 

自分の気持ちを大事にできる、話し合いもできる。

 

前提となるその土台があること。

 

それが大事だということ。

 

僕も誰かと食事に行くなら、相手が何を食べたいか?を考えます。

 

相手に喜んで欲しいですし、楽しんでほしいです。

 

自分が何を食べたいか?より、相手が何を食べたいか?を考えること、優先することは普通にあります。

 

しかし、そこに自己犠牲はなく、無理もなく、相手が喜んでくれたら、

 

「ああ、良かったな」

 

と思うのみです。

 

自分を大切にできる前提があることによって、

 

全く同じことをしてもそのときの気分や感覚というのは全然違うんですよね。

 

 

何をするかということよりも、どういう状態でするか。

 

その「心の状態」を整えることで楽になるし、現実も変わっていきます。

 

 

 

無愛想のススメを出版したのは、5年前。

 

本になる前から伝えさせていただいている内容なので、5年以上前から同じことを伝え続けていて、

 

自分としてはどこか当たり前になっていた部分もありました。

 

ただ、改めて、こういった形で無愛想のススメを取り上げていただき、

 

また新たな方にお話することができたこと、本を通じて新しい出会いを得られたことが本当に嬉しかったです。

 

 

 

 

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こちら韓国でも出版されました。

「無愛想のススメ〜人間関係が劇的に改善する唯一の方法〜(光文社)」 発売4日で増刷!

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『自分の武器を見つける技術』発売1週間で増刷!

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