できると「知っている」人の存在が重要すぎる件について

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毎日、車を運転している。

ときには、高速に乗ることもあり、毎日乗っているわけだからそれなり運転している方なんじゃないかと思う。

そうなって来ると、運転している人からすれば当たり前なのだけど、全てが「無意識」の動作になる。

自然にサイドミラーやバックミラーで後ろを確認し、スピードを調整し、予め車線変更し、わざわざ書くことが恥ずかしいくらい当たり前のこととしてそれらの動作をする。

隣に誰か乗っていれば、道が高速だろうがなんだろうが、ジョークの一つも飛ばしながら運転する。

高速のときは、喋っていたらいつの間にか到着していて驚くこともあるほど。

当然、最初からそれができたわけじゃない。

最初は高速道路をビクビクしながら運転していた。できれば、高速に乗るのは避けたいと思っていた。

(今では、下道で行くなんて勘弁してほしいと感じる)

ただ、ビクビクするからといってそこで運転を避ければ避けるほど、どんどん乗れなくなってくる。

一度も運転せずにゴールド免許


 

うちの母親は、年齢を重ねてから車の免許を取った。

けれど、日常で運転する機会がなく、運転する機会を失っていけばいくほどに、

運転することに勇気が必要になり、勇気が必要になればなるほど運転から遠ざかるようになった。

結果、免許は取ったものの、運転しないままの状態になっている。

今からまた運転を始めるのはなかなか厳しい状況。

こういうケースは、よくあると思う。

運転したいと思っているなら自分が隣について練習に付き合ってもいいと思っているけれど、

根本的に、母は、運転をする必要がそんなにないのかもしれない。

運転免許を持っているということが重要なのであって、それはそれで良いこと。

持っていたいという気持ちはよくわかるし、そういう自分の素直な思いを叶えさせてあげることも大事なことだ。

なかなか、本題に入れない。笑

運転を例にすればわかりやすいの思うのだけど、

最初は誰もが「意識的に」何かをする。

運転で言えば、サイドミラーの確認、バックミラーの確認、車線変更など。

車間距離もそうかもしれないし、知らない道になど入ろうものなら、様々なものを「意識」しないといけない。

これはなかなか疲れる。

「勇気」も「気合い」もいらなくなる


 

でも、だんだん慣れてくると、意識的にやっていたことが無意識的な動作になってくる。

わざわざ意識しなくても、考えなくてもできるという状態になる。

そうなると、疲れなくなるし、勇気もへったくれもない。

運転することに「勇気」などいらなくなる。

できる!できる!と無理に言い聞かせる必要もない。

できることなど当たり前であり、できると「知っている」からだ。

できる!と無理に言い聞かせるのは、できないと思っているからに他ならない。

あなただって自転車に乗るためにわざわざ「俺は乗れる!絶対に!っしゃあ!」なんて気合を入れないはずだ。

気合いなんて入れない。

気合いを入れている暇があったら、

さっさと乗っているだろう。

一人は怖いかもしれないけれど…


 

例えば、今うちの母親が「やっぱり運転したい」と言い始めたとする。

そのとき、どうすれば母は運転できるようになるだろう?

まあ、たった一人で道路に出て行って、運転できればいいのかもしれない。

けれど、実際にはそれはなかなか難しい。

怖いに決まってるからだ。

外にはビュンビュン飛ばす人もいれば、割り込んでくる人もいるし、色んな人がいる。

自転車も歩行者もいる。

その中にたった一人で飛び込んでいくなんて、「勇気」が出ない。

それが普通だ。

では、隣に「乗れると知っている人」がいたらどうだろう。

まあ例えば、私が隣に乗車する、ということだ。

母も、隣に乗れると知っている人がいるなら、運転してみてもいいと思うかもしれない。

さらに、隣にいる人が失敗しても決して責めず、必ずできると信じ続けてくれていたらどうだろう。

信じるというか、できるなんて当たり前だと思っていてくれたらどうだろう。

やってみよう、と思うのではないだろうか。

逆に、隣にいる人がいつも責めてきて、ガミガミ言ってきたとしたらどうか。

「はあ?なんで指示機出さないわけ?」

とか言ってきたら、私だったらわざと車をグワングワンさせるに違いない。

超下手くそなブレーキを踏んでやるのだ。

くそやろうめ!

 

あなたも、運転する気をなくさないだろうか。

今は運転についての比喩で書いているけれど、これと同じようなことが人生の中では常に起きている。

できると知っている人がそばにいることの重要性


 

できないと思っていることは怖くてできない。

隣にいつも失敗を責めてくる人がいれば、やる気をなくす。

逆に、隣に「できると知っている人」がいれば、どんどんチャレンジできて、上手になっていく。

「コーチ」という存在は、クライアントにならできると知っていて、クライアントの成長を温かく身守る存在だ。

コーチをつけるとは、隣に運転できると知っている人にいてもらうことと同じこと。

たった一人ではできないと感じ、勇気が出ないことも、コーチとならやっていこうと思える。

そして、やっていけばいくほどに、無意識でできることが増えてくる。

最初は意識しないとできなくて大変だったことも、

どんどん楽にできるようになってくるのだ。

今、あなたが怖いと感じていることも、実はできる。

ただ、今はこれから運転しようとする母のように、

外で何が起こるかわからず、不安なのだ。

不安だから、車を運転しようとはしない。

結果、家に閉じこもり、外の世界に出られないでいる。

そういうことなのだと、理解してみてほしい。

自分のことを客観的に見られるようになるだけでも、大きな前進になるからだ。

そして、できれば、自分の力を信じてくれる人がいる環境に居続けるということもやってみてほしい。

それだけで、あなたが持っている力は発揮されるようになる。

 

人生が上手くいかないとして、

それはまだ、自分の力を出し切れていないというだけのことなのだから。

 

 

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