これまでずっと心を閉ざしていた男の心が、開かれていた。
ここ最近の驚きと喜びの出来事の一つのだけど、そういったことを経験するたび、人間っていうのは変わるものだと、つくづくと思う。
心が開かれているかどうか、オープンかどうかは大きな影響を人生に与えるもの。
自分も昔は人に心を開こうとは思わなかった。
開こうと思わなかったというよりは、開くことが怖かったという方が正確かな。
基本的に人には笑顔で接していたし、愛想笑いも上手かったと思う。
けれど、いつもどこか軽薄さを漂わせていただろうし、そこには落ち着きもなければ深みもなかった。
おっと、今それらがあるのかどうかは、とりあえず置いておいてほしい。笑
多分、昔よりはマシだから。
愛想笑いが上手い人は、どこか存在感が薄いような気がするのだけど、あれは何なのだろうか。
自分なりの仮説としては、自分自身であるという状態から離れれば離れるほどに浮ついた軽薄な印象を周囲に与え、それがその人の存在感を薄くするのではないかと思っている。
単純な言語化をするならば、愛想笑いが上手いだけの人は存在感が薄くなる、ということ。
そこまで単純化すると語弊が生まれるかもしれないけれど、情報発信的に言えば語弊が生まれるくらいの物言いの方が注目を集めるのだろうと思いつつ、
でもちょっと言いたいことずれるんだよな、ちゃんと説明したいなと思う自分の心とのせめぎ合いになる。
話が逸れた。
心が開かれた状態になると何が良いかっていうと、色々なものが入ってくるようになることだ。
それは情報かもしれないし、自分が今学ぶべき教訓かもしれないし、役立つ助言かもしれない。
心がオープンでないときは、色んなものが入ってこない。
例えば自分の例で言えば、心がオープンでないときは、人に助けを求めることもできなかったし、助言を聞くことも難しかった。
結果、全てを自分でやろうとしてパンクしたり、無駄な労力をかけてしまったり、自分が嫌になってしまったり、自分の願望は実現しないのではないかという思いに苛まれた。
自分の武器を活かせない状況に追い込まれた。
実際には自分の周囲には自分のことを助けてくれる人がいたにも関わらず、自ら拒絶し、自ら距離を取り、自ら自分の人生を苦しい方向に持って行こうとしていた。
よく、孤独を選んだ。
今でも一人でいるのは好きではあるのだけれど、以前の孤独とは全く違う意識状態、あり方でいる。
昔は、自分が特別な存在であることを証明したくて一人を選んでいたところがあったと思う。
みんなと一緒とかだっせえ!という感じだ。
自分を特別にしなければ愛されないと思っていたから、特別になろうとして、愛されたくて、孤独を選んでいた。
でも、今は違う。
みんなでいるのも大好きだし、このメンバーといつも一緒にいられたら、なんてことを思うこともある。
「なあ、合宿でもしないか?」と、できる限りみんなと一緒に時間を過ごしたいがゆえに提案してしまうこともあるほどだ。
自分でも笑ってしまう。
ただ、だからといって一人でいられない、ということでもない。
むしろ、昔よりも一人でいられるのかもしれない。
心がオープンになることで、自分は人とつながれるし、つながっている、という感覚そのものが自分の中に存在しているからだ。
物理的に一緒にいるわけじゃないけれど、心と心はつながっている、というのだろうか。
ちょっと、そこの君、「ぷぷぷ!」と笑うのはやめてくれ。
こっちはマジなんだから!
そういう感覚が本当にあるのだから、仕方ないだろう。
心がオープンになることで、情報や助言や仲間や愛など、色んなものがやってきた。
そして、それらは全て自分の人生の質を向上させてくれるものだった。
自分の感情を解放することで自分は自分でいいんだということを感じることができたし、深くつながれる仲間もできた。
ただ、だからといって今このブログで「心を開きましょう!オープンにしましょう!」と言ったって、人に心を開けないで悩んでいる人にとっては難しいことかもしれない。
できるならやっているはずだ。そういう風に悩む人は、したいけどできないから悩んでいるのだろう。
じゃあ、もし心をオープンにしたいと思ったら、どうしたらいいのか。
まずはイケジュンにも心を開けないことはあったし、そうやって悩んできたということを知っておいて欲しい。
そして、その恐怖、その怖れを乗り越えることもできたし、乗り越えることで人生は楽しくなったということを知っておいてもらいたい。
まずは、自分の怖れに気づき、自分だけが悩んでいるわけじゃないと知っておいて欲しい。
人には、その人なりの恐怖がある。
他人が簡単だと思うことであっても、当人にとっては難しいし、当人にとっては高いハードルなのだ。
だから、人と比べることなく、自分なりの一歩を踏み出していけばいい。
自分なりの一歩を踏み出していくことで、それでいいのだと自分を責めないことで、心の壁は薄くなっていき、人とつながりを感じることができるようになっていくだろう。
そうすれば、悪い状態になることも減ってくる。
悪い状態になるのは、人とのつながりが感じられず、愛に触れることができないでいるときだ。
孤独感や分離感が増せば増すほど、心の状態は悪くなっていく。
逆に、心がオープンになっていけば、心の状態も良くなっていく。
そして、良い状態だからこそ自分の本心に気付けたり、アイデアが湧いたり、行動しようと思えたりするものなのだ。
無理して一人になる必要もなければ、強がって一人になる必要もない。
もちろんそうしたいならそうしてもいいけれど、もしも本当はつながりを求めている自分がいるのなら、それはカッコ悪いものではないから、素直に人とつながっていけばいい。
素直になるというのは、意外にカッコイイものだ。カッコつけないカッコよさ、というのは間違いなく存在する。
まあ、そういったことを分かっている人が無理してカッコつけるのも、個人的には好きだけれど。
最後、上手くまとまらない(笑)
ただ、今日書きたいと思ったのはそんな感じのこと。
また気が向いたときに、このブログに遊びに来てもらえたら嬉しい。
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