森の中をランニングしたりするのだけど、よくベンチにおじいちゃん二人が座っている。
対面して座って何をしているのかと思ったら、将棋を指していた。毎回ニコニコしながら、ときに真剣な表情をしながらひたすら将棋を指している。
ただ、今日は一人のおじいちゃんが風邪でも引いたのか、来ておらず。
もう一人のおじいちゃんは寂しそうな顔で一人ベンチに座っている。
隣には指されることのない将棋が綺麗に並べられていて、その綺麗さが少し切なかった。
もしかしたら、携帯を持っていないのか。
いつもの場所で待ち合わせをしていて、もう一人のおじいちゃんが来るのを待っているのかもしれない。
そんなことを少し想像してみたりする。
将棋というのは、二人でするもの。相手がいないと成り立たない。そういう意味で不便というか、相手次第なところがある。
昔の自分は、そういうのが嫌いだった。相手の都合に合わせるのが嫌なのだと思っていたけれど、今思えば寂しい思いをするのが嫌だったのかもしれないなと思う。
今はネットがあるから、物理的に一人だったとしてもネット上で将棋を楽しむことができる。
ただ、相手の顔は見えないし、次の一手に悩む相手の雰囲気を感じることもできない。
目の前にいる一人の人間と真剣勝負をしているという感覚も薄くなるだろう。
ネットがあることで、いつでも、気軽に、物理的に、一人でも、できることは格段に増えた。
よくあるネットの弊害がどうとか、そういう話に近づいていきそうなのだけど、まあいいか。
「気軽に手軽に一人でも」ということができるようになったことで、どうしてもそちらの方に引き寄せられて、
結果的に人間を感じる力とか、目の前の人の感情を汲み取ったりする力は落ちていくのかもしれない、と思う。
若者のコミュニケーション力が低下しているのかどうかは分からないけど、もしそうだとしたら、そんなところにも一つ原因はあるのかもしれないし、
最近の男がリアルな恋愛に踏み出せないことが多いのも、傷つくリスクの回避だったり、一人の人間と向き合うことを「面倒だ」と感じているのかもしれない。
そして、そういう時期を長く過ごせば過ごすほどに感じる力が衰えて、より一層、リアルを避けるようになるのかもしれない。
話を戻そう。
例えば、リアルのトークライブに行くにしても、移動があって交通費が必要になり、時間も取られ、疲れも溜まるかもしれない。
それだったら、YouTubeで済ませればいいんじゃないかとか、そういう発想が出てくる。
自分も、ブログを中心に活動してきたわけで、ネットの力のすごさを実感すると同時に、昔は現場に行くということを億劫に感じていた時期もあったと思う。
ただ、今はイケジムで毎月大阪と東京でセミナーを必ず開催しているように、リアルで会うこと、人を感じることを大事にしている。
そういったことをやっていても、実際に現場に足を運び、人間を感じて、空気を感じて、体験するというのは本当に重要なことだと思う。
重要なことなのだけど、ネットという選択肢ができたことで、「面倒くさい」と感じることも増えたのかもしれない。
一人でベンチに座っていたおじいちゃんは、今日は寂しい思いをしたと思う。
「あいつがおらんと、つまらん」
と思ってるのかもしれない。
多分、将棋がしたいだけじゃなくて、「あいつ」と将棋がしたいんだと思う。
自立することが大事だとよく言われるし、自分もそう思う。そして実際、それが必要な人もいると思う。それぞれの段階、プロセス、ステップがあるから。
ただ、
「あいつがおらんと、つまらん」
というのも、良いものだ。
おじいちゃんは今日つまらない思いをしたと思うし、寂しい思いもしたと思うけれど、明日、将棋を指せたときの喜びは大きくなる。
一緒にいる時間があるということは、離れる時間があるということだ。
離れる時間を避けるためには、そもそも出会わない、そもそも関わらない、ということを選択するしかない。
でも、それこそが本当の孤独なんじゃないかと思う。
離れている時間や、あの「次」を楽しみに待っているその瞬間って、良いものなんじゃないかと思う。
そう思えている、そう思える相手がいる、そう思える場所があるということこそが、喜びなんじゃないか。
おじいちゃんの寂しそうな姿を見てそんなことを思ったので、書いてみた。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。
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