昔に比べて、一つのことに集中するの難しくなってないか?ということを最近よく感じるのだけど、これは自分だけなのだろうか。
なんかどんどん暇つぶしができるようになっているというのと、チェックするものが多くなっているのと。
例えば、facebook。一回投稿したりすると、いいねがついたりするわけで、メッセージとかが来たりもするし、何かと意識がそっちに向かうことになる。
例えば、ブログや原稿を書いていても、パソコンで書いているものだからfaceookなんかも簡単にチェックできてしまう。
書く手が止まり、行き詰まるとSNSをチェックをしようとしている自分自身に気づいて「いかんいかん」などと自制したりして、
自制することに意識が向いている時点で無駄なエネルギーを使っているな、などと思ったりする。
(だから自分の場合、ネット環境をオフにして、メモ帳やEvernoteで書いていることがほとんど。その方が集中できるし一気に書ける)
あと、LINEもか。
基本的に自分はLINEのラリーを続けるとかしないタイプ。
ある程度のところで切り上げるし、一つのことに集中していたら返信忘れてたとかよくある。関係者の方、他意はありません。笑
ただ、そこもなんか返信しなかったら軽く罪悪感を感じちゃうわけで(既読つくし)、それもまた目の前のことに意識を向けるのを妨げるというか。
例えば絶対あるだろうなと思うのが、
これといってすることがない、したいこともない人が、SNSを見たりLINEのやり取りをするだけで1日が終わるパターン。あとはスマホゲームとか。
そういうのってそもそもなかったわけだから、なくても全く困らない。本来は。ないと困ると思わされているだけで。
別にそういう毎日が悪いわけではないけれど、その毎日を続けたところで人生が変わるとか、現実が自分の望むものになるという奇跡は起こるのか。
普通に考えてみれば、起こらないであろうことが予想される。残念ながら。
SNSを見てLINEをしてという毎日を送っているだけなのに大きな夢を見ているなら、残念だけど、それはなかなか叶わないだろうということは普通の感覚を持っていればわかる。
受験生とかも、今は大変だろう。
自分が受験生ときはfacebookなんかやってなかったし、ツイッターもなかったし、LINEも当然なかった。
手軽な暇つぶしの手段がなかった。正直、勉強しかすることがなかったし、だからこそ集中することができた。
でも今はスマホなどという文明の利器が手元にある。ポッケの中にある。
音楽もYouTubeも映画も漫画も、全てが手中に収まってしまうのだ。
ああ、おそろしや!
受験生だけじゃなく若者とかも、今からスキルを身につけたり学ぶことがたくさんある場合には、お勉強の時間も必要になってくる。
自分の周りには、サイトを作ったりデザインの勉強をしたりしている子が多いけれど、そういうときだって集中力の有無が問われるわけだ。
例えば、SNSチェックをしない、LINEもやらない。
そうしたら、どれだけの時間が生まれるだろう。
もちろんその時間に何をするか?が大事なわけだけど、特にこれからスキルを磨く人や実力を伸ばしたい人、好きなことに熱中したい人などは、ちゃんと自分を熱中させてあげることが大事だと思う。
SNSをしたって、LINEをしたって、そのときの一時的な寂しさが埋められるにすぎない。
そして、暇だからこそ人は寂しさを感じる。暇だから寂しさを感じて、その寂しさをSNSやLINEで埋める。
これは現代社会で一番ありがちな鉄板パターンだけど、それでは現実が動かないであろうことは普通に考えればわかる。
どれだけ高尚なことを学んでも、現実の毎日がそれなら、何も現実は変わらないだろう。
別にそれが悪いわけではない。
人とそうやってつながっていたいと心から望んでいて、心からその毎日を生きたいと願うならそれでいいと思う。
ただ、現実が変わったり、結果を得たり、ということは難しいように思う。
そういうことを考えても、今はホント、「集中力」が大事。
自分も昔に比べて集中力は上がったかと問われれば、情けないことに、下がったと言わざるを得ない。
京大を目指して勉強していた頃は、もっと集中力があった。
今は、あの頃と比べると衰えを感じてしまう。
切ない。
とはいえ。
環境のせいにせず、文明が進んだことを喜んで、自分の人生に活かして、
それでいて、自分の好きなことややりたいことに熱中できる集中力を取り戻していきたいものだ。
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