「今」できることに集中すると、不安はどこかへ消えていく。

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最近は筋トレを黙々とこなしたり、小説や小難しい本をちょこちょこと読み進めたり、映画を観ること自体が楽しいのだけど、

そんなことを楽しんでいると、昔の感覚を思い出すようになった。

不安知らずの受験本番


 

あれは、京大を受験したときのことだ。

試験本番当日。

私の家にはお金がなかったので、浪人生であるにも関わらず私立大学の受験をする予定が一切なかった。

つまり、滑り止め受験をしない、という状況。

もしも京大法学部に不合格だったときには、2浪目が待っていた。

しかも、11月の模試でE判定が出て、センター試験の結果も良くなくボーダーにギリギリ足りない状況だった。

なのに、

試験本番、不安がほとんどなかった。

「へいへい、潤さん。嘘でしょう?格好つけているでしょう?」

と思うかもしれないし、そう思う気持ちはよくわかる。

私も、そうやって自分のことや自分の過去を疑った。

そうは言ってもやっぱり不安だったろう?

と、自分に問いかけた。

でも、よーく当時のことを思い出すと、やっぱり気持ちは安定していた。

自分でもなぜそのような精神状態でいられたのか、明確に分かっていたわけではなかったけれど、

今なら分かる。

当時、

「結局、今できることをするしかない」ということが、深く腑に落ちていたのだ。

試験本番、難しい問題が出たら?

しょうがない。そのときできることをするしかない。

試験本番、分からなくて焦ったら?

しょうがない。そのときできることをするしかない。

そう、結局のところ、その瞬間に自分ができることをすることしか自分にはできない。

今この瞬間に生きること。

それが、受験本番当日、できていた。

結果のことは、考えていなかった。

どんな問題が出るかとか、そんなことも考えていなかった。

ただ、出て来た問題に「ふむふむ」「そうきたか」と対応していけばいいし、それしかできることはない。

それでダメだったらそれはもう仕方のないことで、その結果は受け入れるしかない。

過去にも未来にも意識を向けることなく、今この瞬間に集中していた。

それが、不安がなかった大きな理由だと思う。

結果的に、十二分に力を発揮することができて、2浪目を過ごすことはなかった。(後で点数を見てみると、緊張して本番を迎えていた数学の天才に、数学の点数で勝ってしまっていた)

今できることをする喜び


 

そして今、日々のイケジム運営もそうだし、筋トレや読書、書くこと、その全てにおいて「今」を大事にしている。

ただ楽しく今この瞬間に集中して生きている。

その結果、もはや筋トレは習慣化され、読書量も格段に増えた。

日々の幸福感も圧倒的に上がった。

セミの鳴き声を聞きながら夏に浸る心の余裕もある。

これはなかなかいい生き方を発見したものだと、一人喜んでいる。

未来のことをあれこれ考えて不安がっているときは、結局、手が止まっている。

未来に怯えて状態が悪くなれば、今の質は下がり、今やれることすらやれなくなる。

未来がどうなったとしても、そのときできる力で対応していけばいいし、今できることがあるのなら、今集中してやっていけばいい。

ただ、それだけのこと。

まあ、そんな偉そうなことを書いていても、ときに過去や未来に意識を向けて怯えたり不安がったり後悔することもあるだろう。

それも、仕方のないことだ。

いつだって完璧でいられる必要もない。

そんなときもある、と思っていればいい。

外側の状況だってそう。

生きていれば、いつだって良いときばかりではないかもしれない。

しかし、そんなときも今自分ができることに集中して淡々とやっていく。

淡々とやっていくこと自体に喜びを感じながらやっていく。

それでいいし、それしかない。

のだと思う。

 

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