どうしても「自分なんて」と自己否定してしまうとき、どうすればいいのか?

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さて今日は、どうしても「自分なんて」と思ってしまうときに、どうしていけばいいのか?という記事を書いていきます!

 

自分なんて…

どうせ私は…

 

実は、こういう気持ちが自分のことを止めてしまうことは本当に多いもので、この気持ちと向き合うことで、自分の好きなことができたり、活動を開始することができたりするもの。

 

例えば、ブログを書いてみたい!と思ったときに一番自分を止めてしまう気持ちというのは、

「自分なんかが書いたところで、誰が読むんだろう」とか「もうみんな書いてるし」とか、「自分なんて」という気持ち。

 

その気持ちが心の中に残り続けていると、書きたいことも書けないし、当然、書き続けることも難しくなる。

 

ただ、そうやって思っているのは自分だけで、本当は自分のメッセージを求めている人はいるし、面白いブログ、役に立つブログはいくらあってもいい。

どんなブログがあってもいいし、必ずそんなあなたが好きだと思う人がいる。

 

そもそも書いてみなければ分からないわけで、自分で自分を止めているからこそ、実際のところどうなのか?が分からずじまい、ということも多いんですよね。

 

ということは逆に言えば、「自分なんて」という気持ちから解放されることができれば、もっともっと自由に自分の思うように活動できるし、生きることができる。

 

あなたは自分が思っている以上に力を持っています。これはもう、ずっと人を見続けてきて、変わっていく人を見てきて感じる確信です。

 

自分はダメだと思っているのは、自分だけ?


 

 

まず「自分なんて」と思っているときに気づいてほしいのは、そう思っている、そう信じている自分がいる、ということ。

 

つまり、それが「事実」なのではなく、そう感じている、そう信じている自分がいる、ということ。

(過去の経験からそう思うようになったのかもしれないし、学校社会の中の序列や成績という「比較」の世界の中でそう信じるようになったのかもしれない)

 

ほとんどの場合、誰かに何かを直接言われたというよりは、自分で自分に対してそう思ってしまっているもので、

でも、それは勘違いかもしれません。

 

というか、勘違いです。

 

まずそのことを認識することが大切。

 

自分が、「自分なんて」を信じている。

そのことを認識する。

 

もしあなたが「自分なんて」を信じていると、「自分なんてオーラ」がビシバシと出るようになり、「自分なんて」にふさわしい言動を取るようになります。

そうなると、周りの人はあなたを「自分なんて扱い」することが「自然」だと感じるようになっていく。

ここは重要なので、説明します。

 

自分をどう扱うかが、他人から扱われ方を決める


 

 

例えば、自分を卑下してヘコヘコニヤニヤしている人がいたとして、

自然な反応として、どう感じるか??

 

自然な反応として、人はその人をみくびるし、舐めるし、軽く扱うし、最悪、無視するようになる。

 

もちろん、意識的にその人を大切に扱う人もいますが、

反応だけで生きていると、その人を価値ある存在として認識することは難しく感じてしまうものなのです。

 

そう考えれば、優しい人とは、意識的な人と言い換えることもできる。

 

ただ、世の中には無意識の反応で生きている人が多い。

 

実際、状態がさほど良くないときというのは無意識の反応が人の行動パターンを決めます。

 

そうなると、無意識の反応で「人に軽く扱われる」ようなオーラを自分から発してしまっている人は、結局、自分のオーラそのものを変えなければ、周囲の扱いも変わらないということになる。

 

ここがすごく重要なポイント。

オーラとは何かというと、別にこれは怪しい話でもなんでもなくて、

「その人が信じていること」がオーラになる。

 

その人が自分はダメだと信じていれば、自分はダメオーラが伝わるし、

俺は大丈夫だと信じていれば、俺は大丈夫オーラが伝わる。

 

そして、その自分が発しているオーラと同じような扱いをされる、ということ。

 

つまり、

自分が自分をどう扱うかが、他人からの扱われ方を決める

ということです。

 

内面で信じていることが、外側に伝わっていく。

 

人は基本的に「反応」で生きているので、自分が変わらない限りは周りも変わらないし、逆に言えば、自分が変わってしまえば周りも変わらざるを得ません。

なぜなら、人は基本的に反応で生きているから。

今まで自信なさげに振舞っていて、あるときから自信ある風に振る舞うようになった人を、以前のような軽い扱いはできない。

なぜなら、反応で生きているから。笑

 

反応で生きているとは、逆に言えば、自分が変われば周りも変わる、ということでもあるわけです。

 

「自分なんて」という思いが出てきたときにまず気づいて欲しいことは、自分がそう信じている、ということ。

同じ状況でも、そう感じない人もいる。

 

もちろん、信じていることというのはこれまでずっと信じてきたわけなので、

一瞬で変わるということはなかなかなく、トレーニング期間が必要になります。

 

知的欲求との付き合い方


 

 

ここを多くの書籍では語りませんが、実際、色々な人を見てきて実感として感じることは、長期間に渡って同じことに取り組み続け、

「もう飽きたよ」「もう分かったよ」

と、自分の中でもうそれが当たり前だと感じるレベルに達した人はどんどん変わっている、ということ。

 

大事なのは、「同じことを続ける」ということです。

 

知的欲求は一切満たされないかもしれませんが、満たす必要はありません。

頭の良い人ほど知的欲求が優先され、基本的なことは「わかったわかった、知ってるよ」となっていく。

で、どんどん奥深く学んでいくのですが、そうなると、現実世界と乖離しすぎていく。

乖離した人は、「現実世界」がうまくいかなくなる可能性が高いです。

抽象的な世界の話も大事ですが、あくまでも現実的に生きるということが、そのまま抽象的に生きるということでもある。

それらは別のものではなく、現実をしっかり生きていれば、抽象的に生きているということになるわけで、知的欲求が強い場合はそのあたりの統合が大事。

 

むしろ、知的欲求が一切満たされない「基本的なこと」を本当に腑に落とす方が、はるかに現実は変わります。

 

 

 

今回の「自分なんて」というケースで言えば、イケジムでは「前提を変えるトレーニング」というトレーニングを行います。

自分の前提を望ましいものにして、言動をそちらに合わせていく。

(その大切さを本で読んで知っている人はたくさんいても、トレーニングして自分のものにしている人はあまりいません)

 

自分が自分をどういう存在だと思っているのか?が、人の言動や雰囲気を決めるもので、そのイメージに自分の行動を全て合わせていき、結果、今の現実が生まれている。

こういうことを「頭で」理解している人はたくさんいますが、実際、イメージを変えることで現実を変えられるかが大事。

 

どうしても「自分なんて」と思ってしまう場合、自分の中にそういう信念があり、その信念から現実を見るがゆえにそう「感じる」ようになってしまう。

そして、そう感じれば「自分なんてオーラ」が出るようになるので、そのオーラに反応した周りもあなたを軽く扱うようになり、実際に「自分なんて」と感じる現実を体験することになる、ということ。

 

大事なことは、少しずつ自分の勘違いと向き合い、そうではないと信じ、そうではない現実を体験していくことです。

 

 

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本も出版しています。

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