意欲が全然湧かない目標と、他人に止められても動いてしまう目標の違いって何なのか?

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気づけばもう年末。今年一年も早かったですな。と毎年思っている気がするけど、本当に今年も早かった!

で、もうすぐ新年を迎えるのだけど、

新年と言えばメンタルトレーナー的に気になるのは「目標設定」というやつだ。

 

最近はこの「目標設定」というものは嫌われ者というか時代遅れ的な扱いというのか、そういうことが多い。

 

多分、目標設定したところでモチベーションも湧かず行動もできずうまくいかなかった。

なんでうまくいかないだろう?と感じているところに、

「目標なんていらないんだぜ!」という情報が流れてきた。で、

 

「そうか!自分がうまくいかなかったのは目標を定めていたからなんだ!そのせいなんだ!目標、嫌い!わあ!」

 

と思ったという流れなんじゃないかと思う。

 

実際、自分が大してやりたいことでもない、エネルギーが湧かないものに対して目標を定めたところで、なかなか動くことは難しいよね。

なので、そんな目標なんていうものは、ポイしていい!

いらない目標を持っている必要なんてない。

 

でも、例えば、ロールプレイングゲームとかやるときって常に目標を設定していると思う。

次はあの町に行く!あの武器ほしい!あの魔法使いたい!あのボスを倒す!みたいな。

そのときってすごく楽しいと思うし、逆にロールプレイングゲームに次なる目標がなくなったら悲しいと思うんだ。

 

ああ、やることがなくなってしまった、極めてしまった、、そうか、極めるというその道中そのものが楽しかったのだ…それが幸せの本質だったのだ…と悟りを得たかのような気持ちになったりする。

 

つまり、ロールプレイングゲームにおいては目標は面白さや楽しさを提供するものになっている。目標っていい奴じゃんってな感じだ。

 

 

ちなみに、ロールプレイングゲームと言えば、攻略本というものがある。

 

最近だったら攻略サイトか。ああいうのを見る人、先に見たがる場合ってあるよね。

 

でも面白いのが、たとえ攻略法がわかったとしても実際には「練習」が必要だってことだ。

攻略法を知っても、レベル上げは地道にしないといけないし、難しい技は練習しないと身につかない。

 

これはすごく人生と似ていると思う。

 

結局、現実的で地道な「練習」や「トレーニング」というのは誰にだって必要なものだということなんだよね。

フィジカルでも、メンタルでも、スキルでも、全部同じ。

 

話を戻そう。

 

話はなんだったけ。

 

そうだ。目標設定だ。

目標設定は今は結構嫌われ者である場合があるけど、本当に悪者なのかどうか。

 

結論から言えば、自分がやりたいことに関してだったら自然に持ってしまうものだと思う。

 

次はこうしたい!次はああしたい!みたいな。

 

イケジュンの場合、筋トレをしていると「次はここを鍛えたい」とか思うし、

最近はスパルタンレースに出場できる感じの「動けるカラダ」に対する欲求まで出てきたぞ。

 

まずいぞ。

 

出てきてしまった。

 

だからこれから筋トレに加えて走り込みなども始めて、より動けるカラダになっていこうと思ってます。

 

別にそこまでなる必要はないのに。笑

 

超無駄。無駄すぎる。お金になるわけでもない。

 

だって、文章を書くって座ってやるものですからね!走る能力なんて全く不要ですから!

健康のためならウォーキングでもやってりゃいいんです。

でも、自分がそういう自分でいたい。動ける自分でいたい。

 

ただ自分がそういう自分で在りたい。

 

役に立つとか立たないとかお金になるとかならないとか、そういう基準ではない自分の中の超純粋な男としての思いが溢れてきているわけです。

 

これはもう、外的なものから生まれているわけではないからこそ強い。

 

そういうものに関しては、自然に目標を持ってしまう。次はこうしたい。こうなりたいと。願望が拡大していく。

 

要は、自分がやりたいこと、いや正確に言えば「自分の価値観を満たすモノ」であれば、人は自然に目標を定めたくなるもの。

 

だから、目標設定をする前の段階が大事で、それが自分の価値観、願望を知るということ。

 

例えば、もしイケジュンがどこかのタイミングで「料理ができることこそがカッコいいんだ」と、

料理とカッコよさというものがリンクされたとしたら、懸命に料理の練習を始めると思う。

 

その場合、「よし、次は千切りだぜ」「今回は煮物にチャレンジ」などと、目標を設定することになる。

 

でも今のところそのリンクは成立していないので、料理を本気でやろうという意欲は全く湧いて来ないし、

リンクが成立していない状態でいくら目標設定をしたとしても、設定すること自体が意欲をもたらしてくれることはない。

 

(うまくいかないケースはこの「リンク付け」がされていないわけで、なぜそれができないかというと、自分の価値観をまだ自覚できていないから)

 

要は、スタートとしてはそれ自体に興味を持っているというよりも、自分の価値観を満たすことに興味を持つ、ということもあるんだ。

 

「何をやるか」よりも「それをやることによって満たされる自分の価値観」が大事なわけ。

 

だから、実は何をやるかはそこまで重要ではなかったりする。

 

ただ、やっていないからなんとも言えないけど、多分やっていると料理の楽しさにも目覚めると思う。

 

筋トレだってみんなそうじゃないか。

まず、カッコいいカラダに憧れる。で、実際にやってみる。

すると、「え、トレーニングって奥が深くて楽しいじゃん」みたいになっていって、トレーニング自体の面白さを感じられるようになっていく。

 

自分の価値観とのリンクと、それ自体の面白さ。

この二つが己の意欲を支えることになるわけだ。

 

この二つに支えられた意欲というのは強靭なもので、自然にやってしまう、気づいたらそのことを考えるレベルになっていく。

 

もちろん、どちらがきっかけでもいいんだけど、「価値観リンクからのそれ自体の面白さ」というケースの方が多いんじゃないかと思う。

 

ということで、最近嫌われがちな傾向がある目標というものは、それ自体に良い悪いもなくて、

目標を定める本人が自分の価値観や願望を知っているのかどうか、価値観や願望ときちんとリンクした目標を設定しているのかどうかが大事。

 

そこができれば、ロールプレイングゲームのような楽しさを目標ってやつは与えてくれるんじゃないかという、そういう話でした!

 

 

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