人は、自分のことを客観的に見ることってなかなかできない。
もちろんできる範囲でやろうとすることはすごく大事なことなのだけど、
例えば、自分が得意なことは得意だからこそ当たり前になっちゃって、どうしても自分でそれをすごいと思うことって難しく感じるもの。
「え、みんなもできるっしょ?普通に」
と思ってしまう。
自分だけになると、人と良い意味で比べることがなくなり、だからこそ自分のことがよく分からなくなるということが起こるんだ。
基本的に自分にとって普通なこと、自分にとって当たり前なことの中に自分の個性とか特徴ってあったりするものなのだけど、
定期的に適切なフィードバックを得ることができないと、自分のことがよく分からなくなってしまうことは多い。
仮にフィードバックがあったとしても、ネガティブなものばかりはよくない。
自己イメージが上がるような、適切なものになるようなフィードバックが大事で、
そういうフィードバックがあるからこそ、自分の役割だったり仕事だったりの価値を認識することができる、ということはある。
基本的に、普通に生きていて自分の力が認められるとか、賞賛されるとか、そういうことってあまりない。
だから、自分の力を低く見積もるってことはよく起こるものなんだよね。
あえて人に「ここがすごいですね」と言うことってあまりないものだと思うんだ、普通。
それよりも、できないところに強くフォーカスする、みたいなことが多いのかもしれない。
例えば、誰かの投稿を見て「いいね」と思っても、毎回「いいね」を押すわけではない、という人がほとんどなんじゃないかな?
でも、心のなかでは「いいね」と思っているわけだよ。
思っているけど、伝わる形にはなっていない。
ということは、書き手からすると伝わってこないわけだから、「自分の書いていることに意味はあるのか」的な思考に入ることも十分に考えられる。
でも、例えば、会ったときに「あの記事は心に響きました」なんてことを言われることがあるかもしれない。
そのとき初めて「伝わる」わけなんだけど、書いたときからその記事の価値っていうのは変わらなかったはず。
でもね、なーんのフィードバックもない状態、自分だけの状態になると、たとえ良い記事を書いていたとしても「自分の記事には価値がないんじゃないか」という発想になってしまうことはありえるんだ。
そうすると、たとえ良い記事を書いていたとしても、自分で自分を追い込んでしまって、書くことをやめてしまうこともありえる。
それはすごくもったいないよね。
だから、まずは自分で自分を支えるメンタルを持つこと。
そして、それにプラスする形で、
定期的に人と関わって自分の得意の在処や自分自身を客観的に見られるような機会を持つといい。
自分で支える+人に支えてもらう、という両輪。
メントレとしては「自分で自分を支える」力を養っていくけれど、
それは人から支えてもらうことを否定しているわけじゃない。
ただ、人から支えてもらうばかりだと他人軸になって、いつも心が不安定になるから、
メントレで自分を支える力を身につける。
その上で、人から支えてもらえる場だったり関係性を持てるということが大事なんだよね。
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